百パーセントの朝
江波航生は目を覚ますと、天気より先に《一社》を開く。
市民が企業へ応募できるのは生涯で一度だけ。採用確率が百パーセントになった瞬間に限り、送信ボタンが現れる。無駄な不採用をなくすための規則だった。
航生が目指す宇宙輸送公社は、三年間ずっと九十九・八パーセントだった。軌道船の整備士になるため、休日も無重力訓練へ通った。菜月は見学席から毎回手を振り、帰りには酔い止めを渡してくれた。
二人で住む部屋を選ぶときも、公社へ通いやすい沿線にした。採用されたら離れるという矛盾を、どちらも口にしなかった。
〈阻害要因 長期赴任への私的制約〉
婚約者の東雲菜月は心臓に持病があり、月に一度の通院へ航生が付き添っている。赴任先は月軌道ステーション。帰還は年二回だ。
「私のせいで〇・二なんだね」
菜月は冗談にした。航生は毎回、端末を伏せた。
「百にならなくていい。地上の会社を探す」
「応募は一度だけなんだから、使わずに死ぬのもったいないよ」
その朝、数字が初めて変わった。
〈採用確率 100.0%〉
〈応募可能時間 90秒〉
胸が跳ねた。だが阻害要因の欄が空になっている。
菜月へ電話しても出ない。代わりに行政通知が届いた。
〈婚約関係の解消を受理しました 申請者・東雲菜月〉
昨夜まで指にあったはずの指輪が、テーブルの小箱に戻されている。菜月は航生が眠ったあと、登録を外して部屋を出たのだ。
メッセージが一通だけ残っていた。
『あなたの百パーセントに、私を残さないで』
残り四十二秒。送信すれば夢だった仕事に就ける。押さなければ、生涯の応募権は未使用のまま凍結される。AIは関係が戻る可能性を計算し、二度と百を出さないだろう。
航生は小箱の指輪を握った。菜月がよく行く朝の病院まで、走れば十分。
残り五秒で、〈今後この企業へ応募しない〉を押した。
画面から送信ボタンが消え、確率表示は永久停止になった。
航生は指輪をポケットに入れ、靴ひもも結ばず部屋を飛び出した。