砂上に縫い留めた百の影
「魔力ゼロ。日陰を作る布より役に立たない」
隊商長は水城沙耶の鑑定鏡を砂へ投げた。
異世界へ迷い込んだ沙耶は、砂漠の隊商で天幕を畳む仕事をしていた。前世では舞台照明の技師だったが、光魔法がなければ影の何が分かると笑われた。
国境の検問所が見えたとき、砂面に黒い針が次々と立った。
砂蠍の群れだ。靴ほどの低級魔物だが、毒針は駱駝を一刺しで倒す。護衛が槍を構える間にも、百を超える影が隊商を囲んだ。荷車には水の尽きた避難民も乗っており、逃げれば最初に取り残される。
沙耶は蠍そのものではなく、影を見た。
太陽は西にあるのに、十二匹だけ影が東西両方へ伸びている。砂の下にいる何かが、低級魔物の影を借りて姿を隠しているのだ。
次の瞬間、砂丘が割れた。
城壁ほどの大砂帝蠍が尾を上げる。検問所の兵が十年恐れていた災害級。群れは餌を追うためではなく、巨大な本体の視界として操られていた。
隊商長は沙耶の天幕を奪い、自分だけ隠れた。
沙耶は砂に落ちた鑑定鏡を立て、太陽光を一筋だけ反射させた。
「影は、光がある限り逃げられない」
《万影縫合》を使ったのは一度だけ。
百を超える影が、砂へ縫いつけられた。
砂蠍たちは足を上げた姿勢で停止する。二重だった影が一本へ引かれ、砂の下の大砂帝蠍へつながった。巨体は逃げようと身をよじるが、自分が作る城ほど大きな影に押さえ込まれ、輪郭から黒い砂へ崩れていく。
本体が消えると、低級魔物も空の殻となって砕けた。毒は一滴も飛ばず、駱駝も荷も傷ついていない。
検問所の日時計が影を失い、金属盤だけを残して割れた。
砂王ハリードが城門上の涼台から立ち上がる。
「太陽を操ったのか」
「いいえ。影に、持ち主を忘れさせなかっただけです」
隊商長が天幕から顔を出すと、護衛たちの視線はもう彼を向いていなかった。
砂王は自分の天蓋を外させ、沙耶の頭上へ運ばせる。国境門が開き、王国騎兵が左右に並んだ。
日陰を作る布より役に立たないと言われた女のために、砂漠で最も大きな影が差し出された。