砂王の一滴
砂漠王国で、水へ毒を入れることは軍旗を焼くより重い罪だ。
それでも将軍ドゥガンは、帰還した斥候サハルへ水杯を渡した。
「オアシス奪還の英雄に、王の一滴を」
杯には〈渇き虫〉が溶かされている。飲んだ者の体内で水だけを食い、数秒で干からびさせる生きた毒。サハルが敵国との和平案を持ち帰ったため、戦争で儲ける将軍には邪魔だった。
サハルは砂を払うこともなく飲み干した。
ドゥガンは彼の唇が裂け、眼球が乾く瞬間を待つ。
熱風が一度、二度と天幕を揺らす。渇き虫なら、一度目で舌が裂け、二度目で膝をつく。三度目には皮袋ほど軽い死体になる。将軍はその手順を何度も捕虜で試していた。
だがサハルは立ったまま、空杯を逆さにした。
一滴も落ちない。
水場の番人が杯を受け取り、毒虫の殻が底に残っているのを確認した。さらに自分の水筒へ殻を一片落とすと、中身は一瞬で蒸発した。兵たちの視線が、英雄から将軍へ移る。
「全部飲んだぞ」
将軍の喉が鳴る。確認のため杯を砂へ投げると、底に残った毒で周囲の水分が消え、砂が硝子へ変わった。
「貴様、人間ではないな」
「三日前まで、そう思っていた」
サハルは鑑定札を見せる。最下級職と嘲られた〈水袋〉。説明には、《必要なものを必要なだけ保持する》とある。
「水しか守れない職だろう!」
ドゥガンは湾刀を抜き、砂嵐の魔力を刃へ集めた。水分を奪った後、乾いた肉体を粉砕する奥義〈砂王断〉。巨大な砂刃がサハルを呑み、天幕ごと吹き飛ばした。
黄煙が晴れる。
天幕は消え、周囲の砂丘は半月形に削られていた。その中心でサハルは杯を逆さにした同じ姿勢で立っていた。彼の周囲だけ、足跡の形まで残っている。
サハルの腰袋から、敵国王の署名入り和平状が落ちる。砂刃を受けても紙は裂けていない。兵たちは、将軍が消そうとしたものが男一人ではなく、干上がりかけた国の未来だと知った。
「俺に必要なのは水だけじゃない。命も、身体も、和平を届ける役目もだ」
湾刀の切っ先が彼の肩で止まり、保持された衝撃に耐えきれず震えた。
「不要なのは、あんたの戦争だけだ」
砂王の湾刀が砕けた。