祖父が待っている戸口

午後七時、長束礼士は祖父の枕元で焦げ跡のある封筒を握っていた。古い置時計は〈最後の一時間〉を示す。

祖父が玄関を見て聞く。

「あいつは来るか」

疎遠になった長男、礼士の叔父が戸口を越えれば、祖父は安心して薬を飲む。来なければ八時に心停止する。礼士は置時計で一時間を十二回戻した。

電話は不通。住所へ走っても空室。声を合成して「今向かっている」と聞かせた回、祖父は偽物だと見抜いた。礼士自身が叔父のコートを着ても、戸口で名前を呼ばれ答えられなかった。

成功条件は八時までに叔父本人が玄関を越えること。最後の巻き戻しを前に、礼士は封筒の中身をようやく読んだ。

叔父は五年前、国外で亡くなっていた。手紙には、祖父の会社で礼士の父が横領し、その罪を叔父へ着せたこと、だから二度と帰らないことが書かれていた。父は手紙を焼こうとして失敗し、死を隠した。真実を出せば会社は再調査され、礼士の職も家も失われる。

最後の一時間。

「あいつは来るか」

礼士は「来る」と言わなかった。封筒を開き、叔父の文を最初から読んだ。祖父は途中で目を閉じたが、最後まで聞いていた。

「そうか。待たせたのは、わしのほうか」

八時、祖父は薬を取らずに息を止めた。置時計は巻き戻らなかった。条件は満たされていない。それでも、待つ理由そのものが消えたため、時間は祖父を解放した。

翌週、礼士は手紙を警察へ提出した。父は逮捕され、会社は倒産した。礼士も共犯を疑われ、家を出た。

親族は礼士を葬儀から外した。会社の従業員には、真実より生活が大事だと責められた。礼士にも反論はなかった。叔父の名誉を戻しても、失業した人々の家賃は払えない。祖父の置時計は警察から返されたが、七時で止まったままだった。礼士は修理店へ持ち込まず、空になった会社の受付へ置いた。誰かを待つための時計に、もう次の一時間を与えたくなかった。

封筒の焦げた角だけが、証拠採取のあと返された。礼士はそれを祖父の戸口へ置き、二度と開かない玄関を背にした。