積立額を見ない金曜日

紀歩は銀行アプリを閉じたあと、同じ指でSNSを開いた。口座残高は、家賃とカードの引き落としを考えると心細かった。

タイムラインには、二十代の資産形成について発信する人がいた。〈毎月十万円を投資へ〉〈若いうちの複利が未来を変える〉。円グラフは整っていて、生活費、投資、自己投資の色がきれいに分かれている。

紀歩の今月の円グラフを作れば、歯科治療、友人の結婚祝い、壊れたイヤホンで半分が埋まる。投資額は先月より少なく、貯金はむしろ減っていた。

金曜の夕食に買った値引きのドリアをテーブルへ置く。レシートには、ポイント利用二百円と印字されている。資産形成の投稿を見たあとでは、二百円を使ったことさえ、未来から借りたように感じた。

コメント欄には「勉強になります」「私も二十五歳から始めます」。紀歩は二十七歳だった。二年遅れている、と数字が勝手に結論を出した。

ドリアのふたを開ける。チーズは冷めて固まり、端に寄っていた。温め直せばいいのに、電子レンジまで三歩が遠い。

紀歩は投稿者の過去の画像までさかのぼった。総資産の推移は右肩上がりだった。自分の口座は、給料日に上がり、月末へ向かって必ず下がる。

そのとき、歯の奥が少しうずいた。今月払った治療費を思い出す。貯金は減ったが、痛みで眠れない夜も減った。円グラフでは「支出」でも、生活の中では回復だった。

結婚祝いも、壊れたイヤホンも、ただ浪費したわけではない。数字だけ見れば遅れていても、今月の自分には今月の事情がある。

紀歩は銀行アプリの積立設定を開き、変更しなかった。増やしもしないし、無理に取り戻そうともしない。今の額を続けるだけにした。

ドリアをレンジへ入れ、温まるまでSNSを閉じた。機械の中でチーズが少しずつ柔らかくなる。

未来の自分を大切にすることと、今夜の自分に温かい夕食を食べさせることは、どちらも同じ財布から出る。紀歩はそう考え、ポイントを使ったレシートを捨てなかった。

二百円ぶん助かった金曜日として、家計簿にそのまま貼ることにした。