空いた引き出し

引っ越し業者が来るまで、あと二十分だった。

皆川柚季は、望月嘉人の寝室で古い箪笥を空にしていた。離婚後も元妻のマフラー、化粧ポーチ、期限の切れた診察券が、最下段に残っていた。未練ではなく、触る理由がなかっただけだと嘉人は言う。

二人が付き合い始めて四か月。柚季は嘉人が好きだったが、好きとは言えない。元妻の物が出ていった場所へ、自分の物を入れるのが怖かった。空席に座る人として選ばれたのか、柚季自身が選ばれたのか、分からなくなる。

嘉人の新居には、元妻と選んだ物を置かないと決めていた。カーテンも皿も買い直し、柚季に色を尋ねた。そのたび柚季は『何でもいい』と答えた。自分の好みを置けば、過去を塗り替えるようで怖かったからだ。何も選ばないこともまた、二人の部屋を他人任せにする行為だった。

「これ、捨てていい?」

嘉人が欠けたマグカップを持ち上げた。

「本人に聞いて」

「連絡先、もう消した」

「じゃあ箱にまとめて送れば」

「箪笥も処分していいかな」

「好きにして」

トラックの到着連絡が鳴る。嘉人は空になった最上段を開けた。

「ここ、柚季が使う?」

胸の奥が冷えた。

「使わない」

「泊まるとき、毎回持ってくるの大変だろ」

「誰かが出た引き出しに、そのまま私を入れないで」

嘉人が引き出しを閉めるまで、会話は終わらなかった。彼は短く謝った。

「代わりにしたつもりはない」

「分かってる。でも、私が分からなくなるの。前の人より楽だから好きなのか、空いたから呼ばれたのか」

嘉人は箪笥に貼った運搬札を剥がした。

「捨てていい。これは新しい部屋へ持っていかない」

「捨てていいのは、過去じゃないよ」

同じ言葉を、柚季は初めて本音として使った。

「私の場所だけ、新しく作って」

業者が到着し、古い箪笥には処分札が貼られた。柚季は玄関に置かれていた未開封の小さな収納棚を持ち上げる。送り先欄へ嘉人の新住所を書き、宛名の横に自分の名前も小さく足して、トラックへ載せた。