空の街が傾いた午後
浮遊都市アステルは、大型貨物艇が接岸した瞬間、東へ傾いた。
船が押した風で市場の天幕が舞い、積み上げた果物が坂になった通りを転がる。係留塔の鎖が張り、反対側の住宅では食器棚が一斉に開いた。都市そのものは落ちなかったが、住民は手すりへしがみついた。
総督ジュラスは浮力技師へ叫ぶ。
「核の出力を上げろ!」
「上げれば今度は西へ跳ねます!」
浮力核は正常だった。消えたのは、結界師ヴァレッサが港の周囲へ置いていた風圧分散の輪だ。船が運ぶ空気を都市の上下へ分け、接岸の衝撃を八つの塔へ均等に逃がしていた。
総督は輪が薄く光るだけなのを見て、「空の街を守るには小さすぎる」と彼女を地上へ追放した。最初の入港で、都市は貨物一隻に揺さぶられた。
地上へ降りたヴァレッサは、山峡の吊り橋にいた。橋梁技師オドランが、荷馬車を渡らせながら目を見張る。谷風が吹いても、橋板はほとんど揺れない。
「風を止めたのか?」
「止めれば反対側に渦ができます。橋へ当たる前に上下へ分けました」
「毎年、風の季節は橋を閉じていた。これで村の薬も手紙も途切れない」
橋を渡り終えた子どもたちは、ヴァレッサへ地上の花を一輪ずつ渡した。空の宮殿では見たことのない、小さな黄色い花だった。
そこへ浮遊都市から降下艇が来た。総督の副官が、傾いた帽子のまま命令を読む。
「港の均衡を直ちに回復せよ。総督府は追放を撤回し、首席結界師へ任命する」
ヴァレッサは花を橋の欄干へ結び、空を見上げた。
副官は首席という肩書を示したが、ヴァレッサへ地上追放を告げたときも同じ帽子をかぶっていた。必要な間だけ高く持ち上げ、安定すればまた降ろすつもりなのだろう。山村では、橋を使う商人たちが維持費を共同で出し、強風時の通行停止にも従うと署名した。結界を信じることと、結界へ命を丸投げすることは違う。黄色い花をくれた子が、今度は橋の向こうの学校へ毎日通えると笑う。ヴァレッサには、その一往復のほうが首席の称号より大きかった。
「総督府との契約は、昨日で終了しています」