継いだ縁で読む

竜胆未歩は古書喫茶「縁側」で、朗読会の出演辞退を打っていた。

手術前の録音を聞くと、声は明るく、息が長い。未歩はそれを基準に毎日発声し、同じ高さへ届かないたび落第した気分になった。医師は回復していると言ったが、その言葉を受け取れずにいた。

辞退すれば声を聞かれずに済むが、書いた文章まで、手術前の自分のものとして置き去りになる気がした。

喉の手術から半年。声は戻ったが、以前より低く、少しかすれる。文章を書いた本人として読んでほしいと頼まれたのに、録音へ残る声を想像すると怖かった。昔の自分と比べられるくらいなら、体調を理由に断るつもりだった。

店主が運んだカップは、縁の一部だけ色が違った。白い本体に、薄茶の土を継ぎ足して焼き直してある。唇を当てる場所へ修理跡が来るため、未歩は持ち手を回した。

店主はその動きを見て、カップを元の向きへ戻した。そして蓄音機に載っていた歌入りの盤を外し、弦楽だけの静かな曲へ替える。店内から人の声が消えた。

未歩は薄茶の縁へ口をつけた。そこだけ厚みがあり、舌触りも少しざらつく。けれど飲みにくいわけではない。白い部分と同じ音はしないが、カップとしての輪郭は途切れていなかった。

辞退文の理由欄には、〈声が完全に戻っていないため〉と書いてある。

完全とは、どの声のことだろう。手術前へ戻ることだけを、回復と呼んでいた。

店主がレコードの音量を一段下げた。未歩は誰もいない店内で、朗読予定の冒頭を声に出した。

一文目は震えた。二文目で息が足りなくなった。三文目は、低いけれど最後まで届いた。

店主は振り向かず、針の位置だけを少し直した。褒める拍手も、大丈夫という言葉もなかった。その静けさなら、未歩は自分の声を聞けた。

会計を済ませ、未歩は辞退文を削除した。

〈出演します。現在の声に合わせ、持ち時間を一分短くしてください〉

送信し、台本の三文目に息継ぎの印を入れる。

店主はカップを洗い、薄茶の継ぎ目を指で確かめた。未歩は扉を開ける前に、もう一度だけ最初の一文を読んだ。