網戸の向こうの灯り
芦原怜央は管理会社の作業員として、古い団地の三〇四号室を訪ねた。依頼は「網戸破損」。呼び鈴を押し、出てきた顔を見て、端末の住所を確かめ直した。
「……親父」
「業者って、お前か」
茂春が家を出たのは怜央が十二のときだった。養育費は途切れ、成人式にも来なかった。会ったのは母の葬儀が最後。名刺を渡されたが、怜央は捨てた。
「担当、替えられるけど」
「会社に面倒かけるな」
「客の立場で言うなよ」
破れた網戸は、六畳の奥の部屋にあった。机、色褪せた野球帽、背の低い本棚。怜央が使っていた子ども部屋を、狭く縮めたような配置だった。
「何でここだけ破れた」
「風」
「爪の跡だ」
「猫が来る」
「飼ってないだろ」
「勝手に来る」
怜央は網戸を外し、床に寝かせた。茂春が枠を押さえ、怜央が古いゴムを引き抜く。二人で新しい網を張る。引っ張る方向がずれ、皺が寄った。
「そっち強すぎ」
「お前が弱い」
「昔からそれしか言わないな」
「昔のことを覚えてるなら、全部忘れたわけじゃない」
怜央はカッターを止めた。謝罪にもならない言葉だった。茂春は目を伏せ、枠の角だけを押さえ直した。
張り終えた網戸を窓へ戻す。夕方の風が、細かな格子を通って入った。外廊下の灯りが点き、室内に薄い影を作る。
「他の部屋は」
「問題ない」
「点検だけする」
「仕事の範囲外だろ」
「再訪になると面倒だから」
寝室の網戸も端が浮いていた。今日は部材が足りない。怜央は端末へ「次回交換」と入力した。
帰り際、工具箱を持ち上げたが、予備のローラーを机の下へ置き忘れた。気づいていた。茂春も気づいたらしく、それを拾いかけてやめた。
「次、いつだ」
「部材が入ったら」
「昼は猫が逃げる。夕方にしろ」
怜央は頷いた。玄関を出ると、茂春はすぐには鍵を掛けなかった。網戸越しの部屋には灯りがつき、机の下に怜央のローラーが残っていた。