綿棒についた金
美術館の特別内覧まで四十分、稲見佳澄は額縁の隅へ綿棒を当てた。
十九世紀の肖像画を囲む金色の額は、表面が少しくすんでいる。スポンサー企業の役員が来るため、館長は市販の金属用クリーナーで磨くよう指示した。
「写真に映えるくらい、明るくして」
保存担当は外出中。後輩は手袋を着け、柔らかい布へクリーナーを出しかけていた。
「まだ塗らないで。見えない場所で確認する」
佳澄は額の裏側で、ごく小さな試験をした。綿棒の先に、粉ではなく薄い金色が付いた。額縁は金属ではなく、下地へ金箔を貼ったものだった。磨けば汚れと一緒に金箔まで剥がれる。
作品台帳を遡ると、額は二十年前にも「光沢不足」を理由に強く清掃され、角の一部を補彩していた。正面の暗さは汚れだけではなく、金箔を守る薄い仕上げ層の経年変化でもある。後輩はクリーナーの蓋を閉め、「きれいにするほど減るものがあるんですね」と言った。佳澄は綿棒を捨てず、試験資料として透明袋へ封じた。
館長は綿棒を見ても言った。
「裏側なら多少取れても分からない。正面は軽くやればいい」
「一度明るく見せるために、百年以上残った表面を減らせません」
佳澄はクリーナーを収蔵庫へ戻し、乾いた柔らかい刷毛で浮いた埃だけを払った。照明担当へ角度を少し変えてもらうと、金箔は落ち着いた光を返した。磨かなくても、画面の中で輪郭は十分に浮かんだ。
後輩には、材質が不明なものへ薬品を使わず、試験結果を写真と一緒に残す手順を伝えた。館長からは「指示に従わないなら、次の展示担当から外す」と言われた。
佳澄は状態報告書へ、館長の指示、試験方法、綿棒に金箔が付着したことを記載し、保存担当と学芸課長へ送った。内覧後、保存担当から〈止めてくれてありがとう〉と返信が来た。
勤務を終える前、佳澄は机の引き出しに入れたままだった保存修復研修の申込書を出した。
志望理由の最初の一行に、残すための判断を学びたい、と書いた。金色の綿棒の写真を添え、提出した。