署名欄のない推薦状
歯形のついた黄色いシャープペンが、確認書の上に置かれた。
「推薦は、二人で取ろう」
同級生の宮原莉子は、前の人生と同じ親しげな声で言った。
奨学生の椎名灯は、共同研究の提出確認書へ署名した。莉子が「名前を並べれば評価が上がる」と言ったからだ。
だが研究論文には、他校の受賞作が丸ごと転載されていた。問題になると莉子は、灯がデータを管理していたと証言した。確認書には《内容の全責任は第一署名者が負う》という一文が追加され、先に書いた灯の名前が第一署名者扱いになっていた。
推薦は取り消され、退学処分。莉子だけが「友人に騙された被害者」として大学へ進んだ。
校舎の屋上から飛び降りる直前、灯が目を閉じると、進路指導室の時計が一年前へ戻っていた。
同じ夕焼け。同じ確認書。同じシャープペン。
莉子が灯の手元へペンを押す。
「先生は急いでるって。先に灯が書いて、私は後で書くね」
前回は、迷惑をかけたくなくて従った。
灯はペンを取った。莉子が笑う。
そのまま、署名欄へ大きく二本線を引いた。
「共同では出さない」
「どうして? 私たち親友でしょう?」
「親友なら、自分の名前を後で書く理由はないよね」
莉子の笑顔が消えた。
灯は確認書を裏返す。透かすと、責任条項だけ印刷の濃さが違う。今朝追加されたものだ。
「研究本文も、ここで開こう」
「必要ないよ。先生にはもう送ってあるから」
莉子が口を滑らせた。
提出用フォルダの送信権限を持つのは、責任者の灯だけ。まだ送信していないはずだった。
灯は指導室の端末を起動し、履歴を表示する。莉子が灯のパスワードを使って昨夜ログインし、盗用部分を貼りつけ、確認書の責任条項を差し替えた記録が残っていた。
さらに削除済み箱から、《灯が全部やりました》という教師宛ての予約メールまで復元される。
廊下で待っていた進路主任が入室した。
「宮原さん。共同研究の相談ではなく、証拠保全が必要なようですね」
莉子は黄色いペンを握り締める。
「違う。灯だって推薦が欲しくて――」
「欲しいからこそ、自分の名前で出す」
前の人生では午後六時、灯の端末へ《推薦資格停止》が届いた。
時計が六時を打つ。
通知が一件、表示された。
《単独研究として再審査完了》
《椎名灯さんを特別推薦候補に決定します》
推薦状の署名欄にあったのは、莉子の名ではなく、初めて灯一人の名だった。