花束は舞台裏へ

石動茉弥の高校では、卒業生が一人一本ずつ白いガーベラを受け取った。式のあと、世話になった先生へ渡すための花だった。

体育館前には、担任や部活動顧問を囲む輪がいくつもできた。泣きながら花を差し出す生徒、両腕いっぱいの花束を抱える先生。茉弥も列へ並びかけたが、ガーベラを持ったまま校舎の裏へ回った。

向かったのは、用務員室だった。

門倉さんは、毎朝七時に美術室の鍵を開けてくれた。家にいると両親の喧嘩が聞こえる時期、茉弥は始業より一時間早く学校へ来て、石膏像の間で絵を描いた。理由を尋ねず、暖房をつけ、冬には机へ缶のココアを置いてくれた。

けれど卒業式の式次第に、門倉さんの名前はなかった。来賓席にも職員席にもいなかった。用務員室の扉を叩くと、作業着姿で脚立を拭いていた。

「どうした。先生たち、向こうだぞ」

茉弥はガーベラを差し出した。

「門倉さんに」

「置く場所、間違えてないか」

「ここです」

門倉さんは困ったように笑い、花を受け取らなかった。土のついた手袋を見せる。

「汚れる」

茉弥は机の上の空き瓶へ、自分で花を挿した。瓶には錆びた釘が何本も入っていたので、それを新聞紙の上へ出す。白い花が一本立つと、油と埃の匂いがする部屋だけ、式場とは違う春になった。

「私、朝の美術室がなかったら、学校やめてたかもしれない」

門倉さんは返事の代わりに、脚立の留め金を一度確かめた。

「次の場所でも、早く着きすぎたら鍵を開けてもらえ」

それだけだった。門倉さんは花瓶の水を替えるため、手袋を外した。指には細かな切り傷がいくつもあった。茉弥は、誰かが毎朝開けた扉の向こうで、自分は一人で頑張ってきたつもりだったのだと気づいた。

茉弥は先生たちの輪へ戻らず、花のない手で校門を出た。感謝は、拍手の見える場所へ置かなくても届くと知った。

九年後、茉弥は舞台美術の賞を受けた。授賞式後、大きな花束を渡され、カメラの前へ呼ばれた。撮影が終わると、茉弥は花束から白いガーベラを一本抜く。

客席ではなく、舞台袖へ向かった。徹夜で床を直したスタッフの机に、工具と養生テープを避けて花を置く。

「置く場所、ここで合ってます」

誰に聞かれたわけでもなく呟き、茉弥は次の仕込みが始まる明るい舞台裏へ戻った。