読まない手紙

田丸小夜乃は、母の机から二十通の封筒を見つけた。

すべて表に〈小夜乃へ〉と書かれ、日付だけが違う。父は「お母さんが未来のお前に残した手紙だ」と、読むよう勧めた。

一通目を開く。便箋には、結婚したとき、子どもが生まれたとき、仕事を辞めるときの心得が並んでいた。最後に〈お母さんの言うとおりにしておけば間違いません〉とある。

封筒には〈二十五歳〉〈三十歳〉〈母になった小夜乃へ〉と小さく書かれている。母は自分がいなくなったあとの年齢まで、娘の呼び方を用意していた。どの封筒にも、結婚しない小夜乃や、仕事を続ける小夜乃の宛名はない。

父は「先のことまで考えてくれたんだ」と言った。小夜乃には、先のことまで決めてあるように見えた。

一通目の封には、母が好きだった青い花のシールが貼られていた。小夜乃はそれだけ剥がして残そうか迷い、やめた。優しい飾りが、中の命令を優しいものへ変えるわけではない。

小夜乃は二通目に手を伸ばさなかった。

「読まないのか」と父が言う。

「読んだら、母の声がまた未来まで来る」

「遺言みたいなものだぞ」

「法律の話じゃない。私の暮らしへの指示」

父は、母が弱ってから毎晩書いていたと説明した。愛情の証だから捨てるな、と。

小夜乃は封筒を一箱へ戻した。残す箱ではなく、機密書類の溶解処理へ出す箱だった。

「お父さんが読みたいなら、自分宛ての手紙を読んで。私宛ては私が決める」

「あとで後悔する」

「読んで従わなかったら、もっと後悔するかもしれない。どちらの後悔も私のもの」

父は止めなかったが、箱の蓋を見つめていた。

小夜乃は最初の便箋だけ写真に撮った。母を美化するためではなく、なぜ読まないと決めたかを、自分が忘れないためだった。原本はほかの封筒と一緒に入れた。

集荷員へ箱を渡すと、二十通の重みが腕から消えた。

帰宅後、未来の予定表を開いた。結婚も出産も退職も書かれていない。小夜乃は翌月の欄に、行きたかった一人旅の日程だけを入力した。