赤いマフラーの持ち主
「返すだけだから、終電には間に合うよ」
白河雪乃は、佐久間海里へそうメッセージを送った。
借りていた赤いマフラーを返す。それが今夜会う理由だった。冬の初め、急に冷え込んだ帰り道で海里が巻いてくれたもの。洗って返そうとするたび、「次でいい」と言われ、二人は映画や食事の予定を重ねた。
けれど春が近づき、もうマフラーを借りる季節ではない。返してしまえば、次の約束までなくなる気がした。
駅前のベンチで海里は紙袋を受け取った。終電まで八分。
「きれいにしてくれたんだ」
「長く借りたから」
「もう寒くない?」
「今日は平気」
本当は、返した瞬間からひどく寒かった。
海里は袋からマフラーを出し、自分の首へは巻かなかった。雪乃の肩へ掛け、前で一度だけ結ぶ。洗剤の香りに、彼の指の温度が重なった。
「返却、受け付けない」
「もう春だよ」
「次の冬まで持ってて」
海里はスマホを開き、来週の夜桜、初夏の水族館、秋の美術展を予定へ入れた。冬を待つまでの間にも、二人で会う日が並ぶ。
「マフラーのため?」
雪乃が尋ねると、海里は答える代わりに、赤い端と一緒に雪乃の手を握った。終電が来ても、彼は同じ車両へ乗り、雪乃の駅まで送る。戻る電車はないのに、日曜の約束を確認して笑った。
雪乃は連絡先の《佐久間くん》を《海里》へ直す。
車内で雪乃は、マフラーの端を海里の膝にも掛けた。一本を二人で使うには少し短く、肩が触れる。海里は夜桜の日の店を予約し、雪乃は秋の展覧会の前売り開始日を予定へ入れた。次の冬まで借りるのではなく、次の季節を一緒に迎える準備だった。
雪乃が「春になっても巻くの?」と聞くと、海里は「会う理由に季節はいらない」と答えた。雪乃はその言葉より、予約を消さない指を見つめた。
雪乃は、その手を握り返した。
「返すだけだから、終電には間に合うよ」
返すための夜だったはずが、返さないマフラーと次の季節の約束によって、二人は終電より先まで続く関係になった。