赤い傘の返却日

「受け取るだけだから、玄関でいい」

三年ぶりに御堂雅臣の部屋を訪ねた岩浅千鶴は、インターホン越しに言った。

返したい、と連絡が来たのは、赤い傘だった。

三年前の雨の夜、二人で雅臣の部屋へ避難し、千鶴はその傘を置いて帰った。あのとき雅臣が「次もここへ帰ってくれば」と言った意味を、千鶴は恋だと思いかけた。翌週、彼が女性と歩く姿を見て、何も聞かず距離を置いた。

女性は従姉だったと、ずっと後になって共通の友人から聞いた。雅臣も、千鶴が突然避け始めた理由を知らないまま、連絡を控えたらしい。それでも今さら連絡する勇気はなかった。

扉が開く。雅臣は赤い傘を持っていた。三年分の沈黙より先に、懐かしい柔軟剤の匂いが廊下へ流れた。破れていた縁は直され、木の柄には新しい革紐が巻かれている。

「引っ越すから、渡しておこうと思って」

「どこへ?」

「隣の県。電車で一時間」

千鶴は傘を受け取った。これで用は終わりのはずだった。

外へ出ると、偶然のように雨が降り始めた。千鶴が赤い傘を開くと、雅臣は段ボールを捨てに行くと言って同じ下へ入った。

傘は一人用で、肩が触れる。

「三年前も、こうだったね」

「三年前は、千鶴が先に帰った」

「引き止めなかったでしょ」

「次も来ると思ってた」

ゴミ置き場を通り過ぎても、雅臣は歩みを止めない。駅前まで来たところで、彼がスマホを見せた。翌週土曜、千鶴の好きだった喫茶店が二名で予約されている。

千鶴は赤い傘を畳みかけ、思い直して雅臣へ差し出した。

「返してくれたばかりだけど」

「また俺に?」

「来週、返して。今度はちゃんと会って」

雅臣が傘を受け取る。千鶴は空いた彼の手を握り、連絡先の《御堂》《雅臣》へ直した。彼のスマホに残っていた《岩浅千鶴》も、《千鶴》だけに変える。

「受け取るだけだったんじゃないの」

「今日はね。来週は、受け取りに来る」

赤い傘はまた雅臣の手へ戻った。けれど三年前と違い、千鶴の手もそこに残った。

受け取るだけの再会は、同じものをもう一度預けることで、次に会う理由へ変わった。