赤い糸を切らない
六歳のフィンの左手首には、弟ノアへつながる赤い糸が結ばれていた。
王都の貴族が孤児院から「魔力の高い子」を養子に迎える選定日。
院長は銀の鋏を差し出し、前の人生と同じ優しい声で言う。
「弟との糸を切れば選ばれる。お兄ちゃんだけでも幸せになりなさい」
前のフィンは、弟を後から迎えに来ると約束して糸を切った。
豪邸で待っていたのは養子生活ではなく、魔力を吸う祭壇。弟は別の鉱山へ売られ、フィンは十年間、貴族家の魔道具として使い潰された。迎えに行くという約束だけを支えに耐えたが、弟の名は売買台帳からも消されていた。
死ぬ直前、祭壇の紋章が王国で禁じられた奴隷印だと知った。
銀の鋏が赤い糸へ近づく。ノアは泣くのを我慢し、「僕なら大丈夫」と前と同じ嘘をついた。
フィンは鋏を床へ落とした。
「切らない。ノアと一緒でなければ行かない」
院長の笑顔が消える。
「なら二人とも、ずっとここよ」
「ここも安全じゃない」
フィンは弟の糸を自分の手首へもう一度巻きつけ、養子候補の貴族が持つ契約板へ触れた。
一人の魔力では開かない板。しかし兄弟の糸を通せば、隠された契約文が浮かぶ。
《養子一名。全魔力および生命権を譲渡》
見学していた王都監察官たちが息を呑んだ。
貴族は板を伏せようとしたが、ノアが糸を引く。フィンも逆へ引き、赤い糸が弓弦のように張った。
奴隷印が真ん中から割れる。
孤児院の地下へ伸びていた無数の黒い糸が見え、売られた子供たちの名簿が壁一面に現れた。
院長が裏口へ走る。監察官が扉を封じた。
前の人生では選定の鐘が鳴ると、フィンの名は孤児院台帳から消された。
同じ鐘が鳴る。
台帳の文字が光り、今度は二人の欄に新しい印がついた。
《売買契約無効》
《王室保護対象 フィン、ノア》
ノアが震える声で聞く。
「兄ちゃん、僕のせいで選ばれなかった?」
フィンは赤い糸を切らず、弟の手を握った。
監察官は二人の前に膝をつき、前の人生では誰も言わなかった答えをくれた。
「違う。君たちは互いを選んだから、二人とも救われた」