赤信号の三十秒
成海倫は、秋津唯香の自転車の後ろに乗っていた。
倫の自転車は学校の駐輪場で鍵が壊れ、修理屋まで運ばれた。駅まで歩けば電車を逃す。だから仕方なく、唯香の荷台に座った。
「普通、男子がこぐ方じゃない?」
「文句あるなら降りて」
「ありません、運転手さん」
「料金は告白一回分」と唯香が冗談を言った。倫は笑ったが、その言葉だけが駅まで頭に残った。
唯香は陸上部で、立ちこぎが速い。倫は鞄を膝に抱え、落ちないよう彼女のリュックの端をつかんだ。
商店街を抜け、長い坂を下る。最初の信号は青。二つ目も青。話をする暇もなく風が顔に当たる。
校門を出るところを友人たちに見られ、『逆じゃない?』と笑われた。倫もそう思ったが、唯香の背中は迷いなく通学路を進んだ。後ろから見る彼女は、教室で見るより小さく、けれど坂を上る脚は力強かった。倫は何度も話しかけようとしたが、風に消されるのが怖くてやめた。言うなら、止まっているときがいい。
駅前の大きな交差点だけが赤だった。
唯香がブレーキをかける。表示は残り三十秒。
「ねえ」
倫は、なぜかこの三十秒なら言える気がした。
「何」
「俺、好きな人いるんだけど」
唯香の肩が固くなった。
残り二十三秒。
「ふうん」
「聞かないの?」
「興味ない」
残り十八秒。
「陸上部で」
「うち、女子十二人いる」
「短距離で」
「六人」
残り十二秒。
「毎朝、髪を一つに結んでる」
「三人」
「今日、俺を駅まで乗せてる」
残り六秒。
唯香は振り返らなかった。
「それ、一人しかいないけど」
「だから言ってる」
信号が青に変わった。後ろの車が動き出し、唯香も強くペダルを踏んだ。
倫は慌てて彼女の腰へつかまる。
「返事は?」
「運転中!」
駅までの残り三百メートルを、唯香はさっきの倍の速さで走った。
改札前に着くと、倫を降ろし、自転車を押したまま息を整えた。顔が赤いのは立ちこぎのせいか、それ以外か分からない。
「明日」
唯香が言った。
「鍵、直ってても、同じ信号に三十秒止まれたら返事する」
翌朝、倫は修理済みの自転車を家に置いて出た。