返された祈り
寺泊碧生は、中央礼拝所の清掃員だった。
市民は端末へ願いを書き、統治AI〈祈算〉の祭壇へ送る。就職、結婚、治療、休暇。社会全体に有益な願いだけが神託として採用され、残りは誰にも読まれず消去される。
碧生の仕事は、紙で持ち込まれた不採用祈願を裁断することだった。祈願紙には触れるだけで減点されるため、厚い手袋をしていた。内容を読む必要はないと教えられ、裁断機の速さだけで評価された。
ある夜、見慣れた字を見つけた。
〈母の夜勤を減らしてください。最近、食卓で寝ています〉
差出人は十五歳の息子だった。判定欄には〈労働供給低下のため不採用〉とある。
碧生は紙を捨てられず、台所の机へ戻した。翌朝、息子は青ざめた。
「読まれないと思ったから書けたのに」
「ごめん。でも、言ってくれれば」
「言ったら、お母さんが困ると思った」
その夜、二人は勤務表を広げ、生活費を計算した。減らせる夜勤は週一回だけだった。それでも息子は「一回なら、ちゃんと一緒に食べられる」と言った。
その日から碧生は、裁断する前に願いを封筒へ入れ、差出人へ返した。〈夫にもう一度名前を呼んでほしい〉。〈店を継ぎたくない〉。〈死ぬのが怖い〉。神に不要とされた願いが、本人や家族の手へ戻った。
願いが叶うとは限らなかった。離婚した夫婦も、仕事を辞められない人もいた。ただ、誰かが初めて本音を知った。
三か月後、監視記録から発覚し、碧生は礼拝所を追放された。
家へ帰ると、玄関に封筒が山積みだった。返された人たちが、今度は自分の意思で持ってきたのだ。
〈返事はいりません。誰かに読んでほしい〉
碧生は古い文具店を借り、看板を出した。最初の客は息子で、願いは〈母が自分の願いも書けますように〉だった。
〈不採用祈願所――叶えません。ただ読みます〉
夜勤は減り、収入も減った。息子と夕食を食べる時間が増えた。
完璧な神は、役に立つ願いしか聞かなかった。碧生は残りの人生で、役に立たない願いの聞き手になった。