返却口の一行

図書委員会の文化祭企画は、「誰かにすすめたい本」を交換する古本棚だった。

本を一冊置けば、代わりに一冊持ち帰れる。表紙の内側には、前の持ち主が短い紹介文を書く。

柊木栞菜は返却口の担当になり、朝から本の背をそろえていた。

恋愛小説には『最後で泣きます』。推理小説には『犯人を当てたら教えて』。難しい哲学書には『三頁で眠れます』。

昼過ぎ、一冊だけ紹介文のない文庫が返ってきた。

栞菜が去年、棚へ出した本だった。

持ち帰ったのは魚住千尋。隣のクラスで、図書室ではよく向かいに座るが、話したことはない。

「面白くなかったですか」

返却に来た千尋へ、栞菜は思わず訊いた。

「面白かった」

「じゃあ紹介文」

「書いた」

「白紙だけど」

千尋は本を開き、最終頁を示した。

余白に小さく一行だけある。

『この本を選んだ人と話してみたい。』

栞菜は読み返した。

「これ、紹介じゃない」

「感想」

「本の感想でもない」

「本を読んだあとの感想」

去年、栞菜が書いた紹介文は『主人公が最後まで言えなかったことに注目』だった。

自分も、書いた本人へ話しかける勇気まではなかった。

「一年かかったんですか」と栞菜が訊く。

「読むの遅いから」

「文庫一冊に?」

「返す理由を考えるのに」

千尋は別の本を棚へ置いた。

表紙の内側には、『会話が苦手な二人の話です』とある。

「これ、借ります」と栞菜が言う。

「交換する本は?」

「今返ってきたのを出す」

「また誰かが持っていく」

「紹介文、足します」

栞菜は最終頁の一行の下へ書いた。

『話せました。続きは返却口で。』

その本は午後のうちに、知らない一年生が持っていった。

栞菜は少し惜しくなったが、千尋は「いいんじゃない」と言った。

「何が」

「次の人も、誰かと話すかもしれない」

閉場まで、二人は並んで返却本を受け取った。

会話は途切れがちで、本の並べ方ひとつ決めるのにも時間がかかった。それでも沈黙になるたび、栞菜は本の余白を思い出した。

文化祭が終わったあとも、返却口で会えば話すようになった。

最初の一行を書いた本は戻ってこなかった。

けれどその一冊だけは、貸出記録にないまま、二人の間でずっと返却され続けていた。