退屈な絵の前で

榎本瑠璃は、広告会社で「足す」仕事をしている。文字を足し、光を足し、笑顔を足す。何かが足りないと言われる前に、画面を隙間なく埋めた。上司の口癖は「もっと華やかに」で、瑠璃は言われる前に流行の光や花を重ねるようになった。自分の好き嫌いより、修正回数が少ないことを正解にした結果、どの広告も同じ賑やかさになっていた。学生の頃、瑠璃は余白の多いポスターが好きだった。ところが入社後、空いている場所は「未完成」と呼ばれ、説明できない好みは修正理由に負けた。最近では画面に何かを置かずにいると、上司に見つかる前から自分で不安になり、素材を一つ足してしまう。

新商品の参考を探すため、美術館へ来た日も、人気作品だけを急いで撮影した。閉館間際、ほとんど人のいない展示室で、灰色の海を描いた大きな絵の前に立つ。何も起きていない絵だった。

「それ、退屈でしょう」

声をかけたのは、監視椅子に座る年上の女だった。名札には神谷佐和。六十五歳。

「そんなこと言っていいんですか」

「好きなふりをするよりは」

佐和はパンフレットと鉛筆を差し出した。

「どこが退屈か、一分見て、小さく丸をつけてみて」

瑠璃は困った。作品を悪く言う言葉は持っていても、自分がなぜ退屈なのかは考えたことがない。

一分見つめる。海の上には船も鳥もなく、空には雲さえない。ところが中央のわずかな余白だけ、目が離れなかった。何もないのに、そこから風が来るようだった。

瑠璃はパンフレットの空の部分へ丸をつけた。

「明日、何かを一つ足す代わりに、そこを空けてみたら」

佐和はパンフレットを返した。理由は説明せず、閉館のベルに合わせて椅子を畳んだ。

翌朝、瑠璃は化粧品広告の画面を開いた。商品、花びら、光の粒、三つのコピー。昨日、上司は「もう一押し」と言った。瑠璃は新しい飾りを探すため、素材フォルダを開く。

そこで手を止めた。

一番大きな見出しを選択し、削除キーを押す。次に光の粒を半分消す。中央へ何も置かない場所が生まれ、商品だけが静かに見えた。

瑠璃は元に戻す矢印へ触れず、その空白のまま保存した。