金目鯛の煮汁

喜多見弦が作ったサービスは、二月末で消える。

入社二年目から関わり、四年かけて育てた予約管理ツールだった。利用者は多くない。それでも毎日使う店があり、終了告知を出してからは、怒りと困惑のメールが届いた。

会社が用意した回答は一つ。

〈経営上の判断につき、何卒ご理解ください〉

弦はその文を貼り続けた。自分に終了を止める権限はない。別の製品へ移る利用者のデータが欠ける問題にも気づいていたが、担当外だと言われた。

一月の終電前、弦は居酒屋へ入った。店は空で、冬限定の「金目鯛の煮付け」が鍋の中で静かに揺れていた。

醤油と生姜の甘辛い匂いが湯気に乗り、煮汁の泡が魚の赤い皮をゆっくり撫でる。皿へ移された身は箸を当てるだけで白くほどけ、照りのある汁が切り口へ染み込んだ。

「目のまわり、食べます?」

店主が聞いた。

弦は普段なら残す場所を見た。

「食べ方、教えてください」

店主は箸先で、骨の隙間の柔らかな身を示した。それだけだった。

弦は慎重にすくった。少し脂が強く、煮汁の味が濃い。見た目より、捨てるところは少なかった。

会社の決定は変えられない。それでも、終了日までにできることが担当表の外に残っている。弦はノートパソコンを開き、移行手順の下書きを始めた。データの欠ける項目、手作業で補う方法、問い合わせ先。翌朝、上司へ公開許可を求めるつもりだった。

さらに、定型文ではない返信を一通だけ作る。

〈終了を止められず、申し訳ありません。移行時に失われる項目を確認しています。明日、代替手順をお送りします〉

処分を受けるような内容ではない。それでも「勝手な約束」と叱られる可能性はある。サービスが残るわけでもない。

移行手順の冒頭には、会社の事情ではなく利用者が最初にする操作を書いた。弦は救えない機能を救えるように見せる表現を消し、失われる項目を太字にした。

金目鯛の皿には、濃い煮汁だけが残った。弦は白い身の欠片をそこへ絡めた。生姜の辛さは冷めても消えず、甘い醤油の温度と一緒に、舌の奥へ留まった。