閉店後の銀色バッジ

多賀谷結実は、書店の制服を着る前に、鞄の銀色バッジを裏返す。推しているヴィジュアル系バンド〈NOCTURNE BOX〉のギタリスト、シキの横顔が彫られたものだ。店には幅広い客が来る。大人の店員が派手なバンドを追っていると知られれば、接客まで軽く見られる気がした。裏返すたび、シキの横顔に自分で蓋をしているようだった。

ある夕方、会計中に鞄が棚から落ち、バッジが表へ返った。客の男性がそれを見つける。

「うわ、まだこのバンドいるんだ。店員さん、こういうの好きなの?」

結実は笑って流そうとした。そこへ店長の野々村逸子が来た。

「お客様、スタッフの私物へ触れるのはおやめください」

男性は冗談だと言ったが、逸子は表情を変えず、会計だけを終えた。閉店後、結実は謝った。

「目立つものを持ち込んでしまって」

「鞄につけることは禁止していません」

逸子は事務所のロッカーから、自分の銀色バッジを出した。同じシキだが、結実のものより古く、留め金を何度も直した跡がある。

「店長も、シキ推し?」

「十六年。最近の曲は全部好きとは言えないけど、推しをやめたわけでもない」

結実は、同じファンなら無条件に最新作を褒めるものだと思っていた。逸子はライブへ行く回数も減り、グッズも一個だけ。それでもバッジを捨てていない。

「さっきは、私がファンだから守ったんですか」

「違います。誰の趣味でも同じ対応をします」

その答えが、結実にはいちばん嬉しかった。推しが同じだから特別に庇われたのではなく、好きなものを嘲笑されない権利を守られたのだ。

翌日、結実は鞄をロッカーへ入れる前、いつものようにバッジへ手を伸ばした。裏返す必要はない。勤務中に宣伝するつもりも、客へ話しかけてほしいわけでもない。ただ、見つかったときに笑ってごまかすのをやめる。

銀色の横顔を表にしたまま、ロッカーの扉を閉めた。閉店後、逸子の古いバッジも隣で光ったが、二人はライブの約束をしなかった。

それぞれの夜へ帰るための、小さな印で十分だった。