防犯映像を再生したパン職人
朝の監査で、慶悟は焼き上がったパンを床へ落とした。
「また配合を間違えたな、日和。店を任せられない。今日で工房から外れてもらう」
従業員の杏奈が、彼の背後で口元を押さえて笑う。ここ一か月、日和の生地だけ塩辛くなり、客から苦情が続いていた。祖母の代から来てくれる常連へまで頭を下げる日和の横で、慶悟は「女の勘だけで作るからだ」と声を張り上げ、自分の新作だけを無料で配っていた。夜中に二人が厨房へ入るのを見たと話しても、夫の慶悟は「浮気を疑う被害妄想」と切り捨てた。
「この店も俺のものだ。離婚したら杏奈と立て直す」
店は日和の祖母から受け継いだものだが、慶悟は共同経営者を名乗り、フランチャイズ本部へ彼女の解任を申請していた。
「証拠ならある。日和が材料を盗むところを防犯カメラが撮っている」
慶悟は監査員の前で再生ボタンを押した。自分が設置したカメラで妻を追い出せると信じていた。
映像には、閉店後の日和が余った小麦を廃棄箱へ運ぶ姿が映る。規定通りの作業だった。
その十分後、慶悟と杏奈が戻ってきた。
二人は厨房台で抱き合い、口づけを交わす。続いて杏奈が日和の仕込み桶へ塩を一袋入れた。
『失敗が続けば、本部も日和さんを切るわね』
『店の名義を俺に変えさせたら、君を店長にする。離婚の慰謝料も、能力不足を理由に払わない』
慶悟が笑い、カメラへ背を向けた。
「こんな映像は編集だ!」
彼は停止しようとしたが、監査用映像は再生開始後に早送りも削除もできない。従業員が盗みを否認できないよう、慶悟自身が本部へ求めた仕様だった。撮影範囲を厨房全体へ広げ、音声まで保存させたのも彼である。妻の小さな失敗を一つ残らず集めるつもりだった。
最後に彼が原本確認欄へ電子署名する場面まで映った。内容を見ず、「妻の窃盗証拠」として送信したのだ。
日和は床のパンを拾わず、新しい生地へ布をかけた。店の登記簿と祖母の遺言書は、すでに監査員の前にある。
監査員が赤い決定書を開いた。
「慶悟および杏奈に対する、共同経営権剥奪と即時解雇通知を読み上げます」