雨の日のスニーカー
璃央は雨の日でも細いヒールを履く。沙耶は、冠婚葬祭にも黒いスニーカーで行く。
「靴で舐められる仕事なんだよ」
広告代理店で働く璃央が言う。
「舐める人の目より、自分の足を守れば」
スポーツ用品店員の沙耶が返す。
金曜の夜、璃央は取引先の懇親会から早く帰った。髪は整っていたが、右足のかかとから血がにじんでいる。
「靴ずれ?」
「それだけ」
璃央はヒールを脱ぎ、浴室へ向かった。テーブルのスマートフォンが震える。同じ会に残った後輩の恵麻からだった。
〈帰りたいって言ったら、部長に鞄を預けられました〉
璃央は画面を見たまま動かなかった。自分は「頭痛がする」と嘘をついて抜けた。後輩を置いてきたことになる。
沙耶は、なぜその場で一緒に帰らなかったのかと言いかけた。けれど、責める言葉は璃央を会場からさらに遠ざけるだけだと思い、靴箱を開けた。
「迎えに戻る」
沙耶が言う。
「部外者が行ったら余計こじれる」
「じゃあ、あなたが行く」
璃央は足を床へ下ろし、顔をしかめた。
沙耶は玄関から自分の予備のスニーカーを持ってきた。サイズは一つ大きい。璃央は受け取らない。
「こんなので戻ったら、また何か言われる」
「言われに行くんじゃない。連れて帰りに行く」
璃央は、靴が武器になる職場を沙耶が理解していないと思った。沙耶は、傷つく靴を履き続ける理由を理解できなかった。どちらも相手の服装を生き方の証明にしすぎていることには、まだ気づいていない。
それでも恵麻から、会場の店名が届いた。
璃央はヒールを紙袋へ入れ、スニーカーを履いた。沙耶も自分の靴ひもを結ぶ。傘は一本。璃央が持ち、沙耶が配車アプリを開く。
タクシーが来るまで五分。璃央は恵麻へ、鞄は置いて身体だけ店を出るよう送った。沙耶は店の入口で待つと伝えた。二人は雨の歩道へ出た。
「恵麻さんの靴、何色?」
「ベージュのパンプス」
「替え、持っていこう」
沙耶はもう一足、靴ひもで幅を調整しやすい予備のスニーカーを鞄へ入れた。璃央は何も言わず、ヒールの紙袋を持つ手でその鞄の底を支えた。
水たまりの前で、二人は同時に歩幅を広げた。