零へ戻る音

 西園朋香は、起点時計房へ機械式のストップウォッチを持ち込んだ。

 銀色の丸いケースに、細かな目盛りが百まで並ぶ。上のボタンを押せば動き、もう一度押せば止まり、横のボタンで零へ戻るはずだった。だが針は四十八秒六の位置から動かない。

 朋香は通訳案内士の試験に二度落ちている。去年の口述で、最初の質問へ答え始めるまで四十八秒以上黙った。試験官が次の質問へ移ったあとも、頭の中では最初の答えを探していた。

 今年の申込期限は今日。教材は残してあるし、勉強も続けている。けれど三度目に落ちれば、努力ではなく向いていないことが確定する気がした。受験料の決済画面を開いたまま、時計の修理だけを先に済ませようと店へ来た。

 勉強をやめれば、去年までの時間が無駄になるのではなく、これ以上傷つかずに済む。そんな計算を、針の止まった位置へ重ねていた。

 店主は裏蓋を外し、固まった押し棒を細い工具で抜いた。錆を落とし、油を差し、元へ戻す。上のボタンを押すと、針が四十八秒六から走り始めた。一周したところで止め、横のボタンを押す。

 ぱちん、と乾いた音がして、針は零へ戻った。

 文字盤には、以前の持ち主が何度も使った細い傷が残っている。四十八秒付近にも一本あった。店主はガラスを磨いたが、その傷までは消えなかった。

 動作確認のため、店主はもう一度計測を始めた。朋香へ合図はしない。秒針が進む間、会計票へ修理内容を書いていく。

 朋香は受験画面を見た。志望動機も、昨年の不合格番号も入力済みだった。決済ボタンを押す。完了の表示が出たのは、ストップウォッチが十九秒を指したときだった。

 店主はそこで上のボタンを押し、十九秒を止めた。受領票へ時刻を記し、最後に横のボタンを朋香側へ向ける。

 朋香が自分で押すと、針がまた零へ跳ねた。

 零は、何もしてこなかった場所ではない。四十八秒六も十九秒も通ったあと、次を測るために戻る位置だった。

 店主はストップウォッチを箱へ入れず、掌へ直接載せた。朋香は重さを確かめ、受験番号の表示された端末と一緒に鞄へしまった。