零時に復元された声

午後十一時五十分、丹羽暁人は藤森彩葉と電話をつないだ。

二人で使っていたクラウド留守番電話が、零時に新サービスへ移行する。保存音声を消すためだけの、別れてから初めての通話だった。

「残ってるの、広告ばっかり」と彩葉が言う。

「俺のは?」

「一件もない」

別れた夜、暁人は駅のホームから何度も電話した。彩葉の留守番電話は容量いっぱいで、メッセージを残せなかった。彼女からも返事がなく、翌朝〈何も言わずに行くんだね〉と届いた。

「俺は待ってた」

「私も。電話したけど、圏外だった」

「留守電は?」

「入れた。録音完了って流れた」

管理画面にはない。どちらも、相手が何も残さなかったと思っていた。

十一時五十四分、二人は古い音声を一件ずつ削除した。初めて旅行したホテルの予約確認。深夜の宅配連絡。暁人が高熱を出した夜、彩葉が吹き込んだ薬の名前。

「明日の便で出る」と彩葉が言った。「今度はちゃんと言っておく」

「海外?」

「三年。だから、今日消したかった」

暁人は、戻ってきたら会おうと言いかけた。だが二年前に言えなかったことを、出発十分前に約束へ変えるのは違う気がした。

「元気で」

「暁人も」

十一時五十九分、保存件数はゼロになった。二人は零時を待たずに通話を切った。切断音のあと、部屋の冷蔵庫だけが妙に大きく鳴った。

その直後、移行処理の通知が届く。

〈旧交換機に未同期音声が一件あります〉

再生すると、二年前の彩葉の声が流れた。駅の雑音に混じり、泣きながら何度も言っている。

〈まだホームにいる。行かないで。あなたが来るなら、この列車には乗らない〉

時刻は、暁人が反対側のホームで待っていた十一時五十八分。二人は同じ駅にいた。

暁人はすぐかけ直した。画面には〈電源が入っていないか、電波の届かない場所〉と表示される。彩葉は搭乗のため、機内モードにしたのだろう。

零時ちょうど。暁人は連絡先の削除画面を開いた。名前と番号を消し、復元された音声だけを〈二年前の十一時五十八分〉という題名で端末へ保存した。