雷雲は指輪から生まれた
空中庭園の夜会で、雲ひとつない天井から雷が落ちた。
青白い光は聖女イレーネの傘を砕き、彼女を床へ倒す。天候結界の当番表には、エルディン家のシルヴィアの名が記されていた。
「結界を開き、私へ雷を落としたのです」
イレーネの告発を聞くと、飛空侯ニコラスはシルヴィアの肩章を引きちぎった。
「天候を私怨に使う者へ空を任せられない。婚約を破棄し、気象術師の資格も剥奪する」
シルヴィアは割れた傘の骨を見下ろした。十年かけて得た資格が、一度も空を調べず奪われる。嵐の夜にニコラスの船を三度救ったことも、彼の記憶からは消えたらしい。喉は詰まったが、彼女は顔を上げた。
「天候監督官アウグスタ。《嵐核》の記録を開いてください」
白い飛行服の女性が、庭園中央に浮かぶ水晶球へ手を置いた。嵐核は、結界内で発生した雷の出生点を一度だけ立体図にする。
小さな雲が球内に生まれる。会場の天井図と、そこにいた全員の位置が、掌ほどの球へ正確に縮められた。
雷は天井から来ていなかった。イレーネの右手の指輪から真上へ放たれ、傘の金属骨へ折り返していた。球面に刻まれた発雷印も、聖女本人のものだった。
「結界は閉じたままです。これは空の雷ではなく、指輪で作った舞台雷です」
アウグスタが嵐核を眠らせると、庭園の風が戻った。
イレーネは指輪を握り込み、ニコラスは剥いだ肩章を拾う。誰も拍手せず、空中庭園には風車の回る音だけが続いた。
「聖女は空への恐怖で混乱したのだろう。シルヴィア、肩章も婚約も返す。私の妻なら、この程度の誤解を風に流せ」
「風は流れても、落雷地点は消えません」
シルヴィアは肩章を受け取らず、割れた傘を脇へ寄せた。
「殿下は私の空を見ず、当番表だけを見ました。もう同じ船には乗れません」
アウグスタが新型飛空艇の乗務章を掌に載せ、手を差し出す。
「世界海を越える観測航路を開きます。副長席へ座るかどうかは、あなたが決めてください」
シルヴィアはニコラスに背を向け、夜空へ続く桟橋を一歩踏み出し、アウグスタの手を取った。