霧の中の救難信号
高校山岳部の選抜合宿で、葛城航生だけ集合場所を知らされなかった。
早乙女翔吾が作った行程表では、午前六時に東尾根出発。航生へ送られた画像だけ、西尾根七時と書き換えられていた。
前夜から雨が残り、沢の音で無線は途切れやすかった。航生は、単独で追いかければさらに迷うと判断し、地図へ現在地を書いた。翔吾から臆病者と呼ばれても守ってきた、山岳部の基本手順だった。
霧の登山口で一人になった航生は、部の無線へ呼びかけた。
「現在地、西尾根入口。行程を確認したい」
返事はない。後で翔吾は、航生が寝坊して勝手に離脱したと顧問へ報告するつもりだった。
航生が下山を決めたとき、谷側から短い救難笛が聞こえた。一般登山者の女性が足を傷め、動けなくなっていた。航生は救急シートを巻き、位置情報付きの救難端末を起動した。
《07:24 救難信号送信》
部員全員の端末にも通知が届く仕組みだった。
東尾根の翔吾は画面を見て、「あいつ、注目されたいだけだ」と通知を消した。ほかの部員にも先へ進むよう命じた。
航生は女性の体温と呼吸を記録し、救助隊が来るまで風上に立った。合宿の頂上到達には間に合わなかった。
夕方、部室で翔吾は顧問へ言った。
「葛城は集合に遅れ、途中で勝手に救助ごっこをしました。全国縦走の候補から外すべきです」
顧問は無言で、山岳連盟の記録を開いた。
合宿用端末は、受信した通知と操作をすべて保存している。航生の端末には、六時二分から六回の確認発信。翔吾の端末には、救難信号を受信後、《虚偽として無視》を選んだ記録があった。
さらに元の行程表と、航生へ送られた画像の編集履歴が比較された。出発地と時刻を書き換えた端末は、翔吾のものだった。
「知らない。誰かが使ったんです」
顧問が救助隊の報告書を示した。女性の初期対応は適切で、悪化を防いだと記されている。頂上へ先行した部員たちは、救難通知を無視したため連盟から厳重注意を受けていた。
顧問は全国縦走の候補名簿を開いた。
「早乙女は主将解任、選抜資格停止。救難判断を最優先した葛城航生を、次期主将兼代表候補とする」