鮭皮のほうから
西園萌は、午前一時の編集局で記事の公開画面を開いていた。
署名欄には、同僚記者の名前が一つだけある。取材へ行ったのは彼だが、録音を起こし、追加取材をし、原稿の半分を書き直したのは萌だった。
同僚は悪びれず、「助かった。次はちゃんと共著にする」と言う。萌も毎回、「今回はいいよ」と返した。自分は編集担当で、記事の前へ出る役ではない。そう納得しようとしたが、社内賞の候補に彼の名だけが挙がったと聞き、胸の奥に硬いものが残った。
萌は入社以来、文章を整える裏方の仕事を誇りにしてきた。誰かの原稿が読みやすくなるなら、自分の跡は消えてよいと思っていた。だが今回は、取材先へ自分で電話し、証言を取り直し、記事の結論まで組み替えた。見えなくなることと、見えない仕事を選ぶことは違う。それを口にすると、協調性のない人になる気がした。署名を求めることは、誰かの成果を奪うことではない。今夜の原稿に、自分がいた証拠を残してよかった。
机には、同僚が差し入れた鮭のおにぎりがある。付箋は〈救世主へ〉。感謝はされている。だから署名まで求めるのは欲張りに思えた。
包みを開くと、焼き鮭の香りがした。具には皮がついたままで、端から黒くのぞいている。
萌は鮭の皮をいつも外す。脂が強く、口に残るからだ。母も弁当へ入れるときは、きれいに取り除いた。
今夜は皮のある側を先にかじった。薄い皮が歯の間で切れ、脂の味が米へ広がる。嫌いだと思っていた部分は、鮭の味をいちばん強く持っていた。
萌は公開画面へ戻る。署名欄へ自分の名前を追加した。取材記録と原稿履歴を編集長へ添付し、〈追加取材および構成・執筆を担当〉と役割も記す。
同僚への下書きには、謝罪の言葉を入れなかった。〈公開前に署名を二名へ変更しました〉と事実だけを書く。
最後に残った鮭の皮を、萌は米と一緒に食べた。付箋の〈救世主〉は丸めず、二つ折りにして同僚のキーボードへ置く。
次は、という約束を待たず、今回の自分を記事の上へ残した。