黒い半月
森崎美羽が恋人の部屋で目を覚ますと、フレンチトーストが一枚、半分だけ焦げていた。
弱火のつもりが片側だけ火の近くへ寄ったらしい。黒い部分から焦げたバターの匂いがし、縁はぱりぱりに固い。反対側は皿の熱を含み、フォークを入れると柔らかく沈んだ。
恋人は朝食を作るのが初めてだった。失敗を隠すように、黒い半月を奥へ向けている。自分は食べず、窓辺に立って美羽の反応を待った。料理を作ると言い出したのは、昨日、美羽が仕事で遅くなると伝えたからだった。
美羽の鞄には、地方支社への異動通知が入っている。来月から二年間。昨日受け取ったのに、まだ言っていない。
付き合って四か月だった。遠距離を頼むほど長い関係ではないと、美羽は考えている。以前の恋人には、仕事を選ぶなら別れると言われた。結局、美羽は異動を断り、その半年後に相手から別れを告げられた。別れ際には「自分の意思がない」とまで言われた。その言葉だけが残り、今度は誰にも選択を預けないと決めたはずだった。
今回は先に自分から終わらせるつもりだった。捨てられる前に離れれば、同じ失敗にはならない。昨夜も別れの文面を作り、恋人が眠ったあとに送ろうとした。けれど隣で眠る人へ画面越しに告げることができず、通知だけを鞄へ戻した。
皿を見る。子どものころから、美羽は焦げた部分を自分で引き受ける癖があった。誰かが失敗すると、平気な顔で悪いほうを取る。そのほうが役に立てるし、後から嫌われにくい気がした。
フォークを黒い半月へ入れかけ、止めた。皿を回し、柔らかい側から一口食べる。恋人が窓辺で振り返った。
二口目も柔らかい側から食べた。甘い部分を自分へ取るだけで、胸が落ち着かなかった。それでも半分まで食べ、黒い側をそのまま残した。
異動通知を皿の横へ出す。
「来月、遠くなる」
恋人は黒い半月を見てから、通知を読んだ。
「朝食くらいは、画面越しでも焦がせる」
美羽は笑い、最後に柔らかい一口だけを食べた。恋人は異動を断ってほしいとも、必ず続けようとも言わなかった。代わりにカレンダーを開き、最初に会える週末を探し始めた。
黒い半月は残した。相手に押しつけるためではなく、失敗まで自分が食べれば関係が続く、という考えを置いていくためだった。恋人は皿を下げず、次は焦がさないという約束もしなかった。