『署名欄の十五秒』
錦江交通の再雇用面談で、諏訪部孝志は四十二年勤めた会社から不採用を告げられた。
理由は、最終年度の安全評価D。〈点呼手順を省略し、重大事故の危険を生じさせた〉とあり、当時の営業所長の電子署名も付いていた。人事の唐沢園子は「署名済み記録なので覆せない」と説明した。
孝志は老眼鏡を外した。「所長は、私を再雇用推薦すると言って亡くなりました」
営業所長は評価確定の翌週に急逝している。園子が署名情報を開くと、ファイル作成は六月三十日二十三時五十九分、署名は七月一日零時零分十四秒。作成から十五秒しか経っていない。十項目の評価と長い講評を確認するには短すぎた。
同席していた安全部長は「事前に確認済みだった」と言った。
孝志は、所長が全乗務員へ送った最終日のメールを示した。CCには人事も入っている。添付された確定前評価では孝志はA、講評は〈無事故継続、再雇用を強く推薦〉。送信時刻は六月三十日十八時だった。
園子が版履歴を照合すると、零時直前に安全部長がAをDへ変更していた。所長の署名は新たに認証されたものではなく、前年PDFから切り取った画像だった。印刷履歴には、前年評価を二十三時四十七分に安全部長室で印刷した記録もある。
「事故を未然に防ぐための厳格化だ」
「では、点呼を省略した日はいつですか」
該当日欄は空白だった。運行記録にも違反はない。一方、会議室予約の添付資料には〈高年齢再雇用枠を三名削減〉。安全部長は孝志を落とすことで、自分が推薦する元部下を枠へ入れていた。
電子署名欄には認証番号があるように見えたが、拡大すると前年の番号まで画像として貼られていた。本物の署名なら表示される検証リンクもない。安全部長は紙の見た目だけ整え、再雇用審査が原本を開かないことに賭けたのだ。園子は自分が最初にそれを見落としたことも議事録へ記した。
園子は不採用通知を破らず、処理番号だけ無効にした。孝志の評価をAへ戻し、再雇用を承認する。
そして偽の署名で作られた十五秒の評価より長い沈黙の後、安全部長の懲戒審査を開始した。
亡くなった所長の本当の推薦は、ようやく偽の署名画像より重く扱われた。