ひとくち欠けるプリン
門倉巴は、息子の誕生日になると、喫茶「匙影」でプリンを二つ注文する。
一つは自分の分。
もう一つは、一青の分。
一青は十九歳の誕生日を迎える前に亡くなった。
六年前、雨の交差点で、自転車ごと車にはねられた。
巴は事故の日から、息子の好物を食べられなくなった。けれど誕生日だけは、店主に頼んで閉店後まで残り、カラメルの濃いプリンを向かいへ置いた。
「今年も手をつけませんね」
店主が言う。
「甘いもの、嫌いになったのかしら」
「反抗期が長いんでしょう」
二人は毎年、同じ冗談を言った。
一青のプリンは、いつも最後まで完全な形だった。
巴はそれを持ち帰り、翌朝捨てた。
七回目の誕生日。
巴は向かいの空席に、新しい学生証の写真を立てた。亡くなる半年前の一青は、髪を無理に立て、ひどく不機嫌な顔をしている。
「こんな顔しかなかった?」
店主が尋ねた。
「笑ってる写真もあるけど、今見ると胸が痛くなるの」
「不機嫌なら痛くない?」
「腹が立つから、少し楽」
巴は自分のプリンを一口食べた。
一青が死んだ朝、二人は喧嘩をした。
濡れた傘を玄関に放り出した息子を叱り、「そんなだらしない子に育てた覚えはない」と言った。
最後の言葉がそれだった。
もっと優しい母親なら、事故は起きなくても、最後の記憶だけは違ったはずだ。巴は六年間、そう考え続けた。
「この子、傘だけじゃないの」
巴は写真へ話しかけた。
「靴下も丸めて脱ぐし、牛乳を一口だけ残すし、私の高いシャンプー勝手に使うし」
店主が笑った。
「いいところは?」
「プリンのカラメルを私にくれた」
「優しい」
「苦いのが嫌いだっただけよ」
思い出した。
小学生の一青は、カラメルを避けて上だけ食べ、残りを巴の皿へ移した。得意げに「分けてあげる」と言った。
巴は吹き出した。
「本当に、ずるい子」
笑った拍子に涙が落ちた。
それでも今夜の涙は、罪を数える涙ではなかった。
靴下も、牛乳も、シャンプーも、腹を立てた自分も、一緒に生きた時間の中にあった。
店主が「あ」と言った。
向かいのプリンが、ひとくち欠けていた。
スプーンは皿の横に置かれたまま。
滑らかな断面だけが、小さな口でかじったようにへこんでいる。
巴は息を止め、それから笑った。
「そこ、カラメルついてないところじゃない」
返事はない。
「相変わらず、ずるい」
残りのプリンを巴が食べた。
苦いカラメルまで、きれいに。
翌朝、彼女は学生証の写真を、笑っている一青の写真に替えた。
胸はやはり痛んだ。
ただ、その痛みの中に、ひとくち分の甘さが戻っていた。