ほどけた傘バンド

音楽スタジオの傘立てで、春日井朋世の黒い傘が、赤い傘に取り替わっていた。

黒い傘の留めバンドには、二年前まで組んでいたデュオの小さなロゴが縫い付けてある。解散した夜、外そうとして糸を一本切ったが、その先へ進めなかった。今のバンド仲間には、古いお守りだとだけ説明していた。

傘立てへ近づいたのは、今のバンド仲間の桜庭礼央、受付の羽山伊吹、元相方の池ノ上皐。皐は未払いだった二年前のスタジオ代を払いに来て、朋世と目を合わせず帰った。

赤い傘のバンドには、皐が使っていた銀色のギターピック。受付台には黒い糸が一本落ち、古い予約票の裏に〈傘の中〉と書かれている。

朋世が赤い傘のカバーを外すと、薄いノートが入っていた。二人で作りかけた最後の曲。その最終頁に、新しい四小節と手紙がある。

皐は突然デュオを辞めた日、「朋世の歌が嫌いになった」と言った。本当は、本番前に声が出なくなることが怖くなり、自分が足を引っ張る前に逃げたのだという。朋世が自分の分まで歌おうとするほど、申し訳なさが増えた。嫌われれば、引き止められないと思った。

今日、謝るために来た。けれど朋世の顔を見た瞬間、また逃げたくなった。そこで赤い傘へノートを隠し、黒い傘を持ち帰った。

〈返しに来る理由があれば、次は逃げないと思う〉

「勝手すぎる」

朋世がつぶやくと、羽山が受付の奥から黒いバンドを差し出した。

「ほどけて落ちたのを、池ノ上さんが拾って縫い直していました。手が震えて、三回やり直してましたよ」

翌日、皐は約束の時刻より十分早く、黒い傘を持って現れた。何度も帰ろうとしたらしく、入口の床には同じ靴跡が往復していた。バンドのロゴは、前より少し曲がっている。

「返しに来た」

「傘だけ?」

「できれば、四小節も」

朋世は赤い傘とノートを抱え、皐と並んで近くのコンビニへ歩いた。店先でみかんを一つ買い、半分に割る。

少し小さいほうを、迷わず皐へ渡した。

「続きは、食べながら聞く」