シャッターを切らない夜
入江玲子、松永清志、多田美晴の卒業旅行は、古い温泉街を撮るためのものだった。写真サークルの三人は、夕暮れから夜まで歩いたが、最後の橋で誰もカメラを構えなかった。
川面に旅館の灯りが揺れていた。
「俺、カメラ売る」と清志が言った。
玲子が振り向く。「プロになるって内定蹴ったじゃん」
「父親の会社に入る。借金がある。写真で返せる額じゃない」
美晴は首から下げたフィルムカメラを握った。「私は公文書館。撮るんじゃなくて、残す仕事」
「玲子は雑誌社だろ」と清志。
玲子は橋の欄干に肘を置いた。「辞退した。フリーで撮る」
清志が笑った。「一番才能ないって自分で言ってたのに」
「だから会社の名前で撮りたくなかった。失敗した時、自分のせいだって分かるように」
美晴が「失敗を予約しなくてもいい」と言う。
「成功を予約した二人には言われたくない」
清志の顔から笑いが消えた。「俺のどこが成功なんだよ」
三人の間で、川の音だけが露光を続けた。大学一年の時、同じ写真に三人の署名を入れて作品を発表した。誰が撮ったか分からなくする遊びだった。部室の壁には、その写真だけが今も三人の名前で飾られている。今は、誰の未来にも他の二人の名前を入れられない。
「壁の写真、外す?」と美晴。
清志は「好きにして」と答え、玲子はそれを一番残酷な許可だと思った。
美晴がカメラを構えた。「最後に一枚、セルフタイマーで撮ろう」
玲子は拒まなかったが、清志が首を振った。
「残さないでくれ。今日の俺を、後で夢を諦めた人みたいに見るから」
「違う見方をするかもしれない」
「それを決めるのは未来の俺じゃない。写真を見るお前らだ」
結局、三人はシャッターを切らず、宿へ戻った。
翌朝、清志は始発で帰った。部屋の机には、彼のデジタルカメラから抜いたメモリーカードが置かれていた。玲子がパソコンで開くと、中身は空だった。
美晴はカードを透明な袋へ入れ、日付だけを書いた。
写真のない記録は、三人が写った最後の一枚より長く残りそうだった。