パン種の合唱

母のパン屋を継いだ娘は、味を再現できずにいた。

同じ粉、同じ窯、同じ古いパン種。

それでも常連客は、

「お母さんの方が香りがあった」

と言う。

研究所でもらった発酵翻訳液を一滴、パン種へ混ぜた。

生地が膨らんでいる間だけ、酵母の声が聞こえる。

最初は無数の小声だった。

「寒い」

「まだ」

「粉、固い」

「待って」

娘は温度を上げ、水を足し、時間を延ばした。

翌朝のパンは少しよくなった。

「母の配合を教えて」

パン種へ尋ねても、声は答えない。

「眠い」

「急ぐな」

「上、乾く」

酵母はレシピを知らない。

今の生地のことしか話さなかった。

娘は苛立った。

母は量りも時計もあまり使わず、手で触れて決めた。

その感覚を知りたくて翻訳液を使ったのに、返るのは世話の要求ばかりだった。

閉店後、娘はパン種を冷蔵庫へ戻そうとした。

合唱の中から、一つだけ違う声がした。

「前の手、歌う」

母は作業中、よく同じ鼻歌を歌った。

娘は真似して歌った。

「違う」

酵母たちが一斉に言った。

腹が立ち、もっと大きな声で歌う。

「速い」

「高い」

「でも、温かい」

娘は笑った。

母と同じ歌にする必要はないらしい。

翌日から、パン種へ話しかけながら仕込んだ。

天気のこと。

客に比べられて悔しいこと。

母へ聞けなかったこと。

酵母は内容を理解せず、

「手、ゆるい」

「今日は揺れる」

と返した。

娘の手が焦りで固くなる日、声を聞いて休んだ。

悲しい日は発酵を少し長く待った。

母の味を再現しようとするほど、生地を急かしていたことに気づいた。

新しいパンは、母の物より酸味があり、皮が厚かった。

常連客の一人が、

「違うね」

と言った。

娘は謝らなかった。

「私のパンです」

と答えた。

客は一口食べ、

「じゃあ、これから覚える」

と言った。

翻訳液は一瓶で尽きた。

パン種はもう合唱しない。

それでも生地へ触れると、寒い、まだ、待って、という声を思い出す。

母のパン種は、母の言葉を保存していなかった。

生きているものは、毎日違う温度で世話を求める。

受け継ぐとは、同じ答えを守ることではなく、今日の声へ耳を澄ませ続けることだった。