フェリーの白いうどん
諸星惣一は、海を渡る用事がない日にフェリーへ乗る。
港から対岸まで四十分。着いたら次の便で戻る。ただ船に乗り、うどんを食べ、風に当たるだけの休日だ。
切符売り場で往復券を買うと、窓口の人に「観光ですか」と訊かれた。
「乗るのが目的です」
答えると、慣れた顔で頷かれた。そういう客は他にもいるらしい。
船が岸を離れる。
惣一は客室へ入らず、後方デッキへ立った。港の建物が小さくなり、白い航跡が海へ長く伸びる。
風は強く、帽子を押さえなければ飛びそうだった。
十分ほどで寒くなり、売店へ入った。
名物のうどんは、丼も具も簡素だった。白い麺、薄い蒲鉾、刻み葱。出汁は熱く、蓋を取ると鰹と醤油の香りが立った。
窓際の席へ座り、船の揺れに合わせて麺をすする。
汁が少し揺れ、葱が端へ寄る。陸の店なら落ち着かない揺れも、船では味の一部だった。
惣一は急がず、一口ごとに窓を見る。海面には細かな光が散り、貨物船がゆっくり横切った。
対岸へ着くと、下船した。
次の便まで三十分。港の周りを一周し、自動販売機で温かい茶を買う。観光案内所には寄らず、土産も買わなかった。
何かを見なければ来た意味がない、とは思わない。往復の間に別の岸へ立つ、それだけで十分だった。
帰りの便を待つあいだ、惣一は防波堤の端で海鳥を眺めた。一羽が風へ向かって羽を広げ、ほとんど進まず同じ場所に浮いている。移動しない飛び方もあるのだと知り、惣一は茶の缶を両手で転がした。
帰りの船では、客室の隅へ座った。
暖房が効き、窓硝子が少し曇っている。惣一は帽子を膝へ置き、うとうとした。
目を覚ますと、元の港が近づいていた。
岸へ降りると、地面がまだ少し揺れているように感じた。
コートには潮の匂い、指先にはうどんの出汁の温度が残っている。
何も持ち帰らないつもりの小さな旅だったが、四十分ずつの海が体の中へ静かに入っていた。
惣一は次の休日の時刻表を調べず、港のベンチで温かい茶を最後まで飲んだ。