ベルの後ろ
自転車配送員の夜間ルート掲示板には、旧柳綴トンネルの項目だけ太字の警告がある。
《坑内で自転車のベルを聞いても振り返ってはいけない》
栗栖拓真は二十二歳。終電後の書類配送で、トンネルへ入った。道路は狭いが直線で、前にも後ろにもライトはない。
中央付近で、背後からベルが鳴った。
チリン。
追い越したい自転車がいると思い、左へ寄った。もう一度鳴る。距離はすぐ後ろだ。警告を思い出したが、接触事故の方が現実的に怖い。
拓真は一度だけ振り返った。
そこには自分がいた。
同じ自転車、同じ配送バッグ、同じ汗ばんだ顔。ただし後ろの拓真はペダルを漕がず、サドルに立ったまま滑ってくる。口元だけが笑っていた。
拓真は前を向き、全力で走った。ベルは耳元で鳴り続けたが、出口の街灯を越えた途端に消えた。
配送先の受付は拓真を見るなり、「また戻ってきたんですか」と尋ねた。数分前、同じ顔の配送員が同じ封筒を渡し、裏口から出たという。拓真の手元にも封筒は残っていた。受領印をもらうと、業務アプリには同じ案件が二回完了した記録が残った。
担当者:栗栖拓真
担当者:栗栖拓真
走行距離も報酬も二人分だった。
会社へ報告すると、システム障害として処理された。翌日、拓真のプロフィール写真が勝手に変更された。正面写真ではなく、トンネルで振り返った瞬間の横顔だった。撮影者は背後にいたことになる。
その夜、配車アプリから通知が届いた。
《前の運転者を評価してください》
表示された運転者は《栗栖拓真》。顔写真では、彼がベルを片手に笑っている。乗車日時は現在時刻、乗車場所は拓真の寝室、目的地は旧柳綴トンネルだった。
キャンセルを押すと、《運転中のため変更できません》と出た。
部屋の床に、自転車のタイヤ痕が一本ずつ現れた。背後で小さくベルが鳴る。
拓真は振り返らなかった。
スマートフォンの地図上で、二つの現在地マークが重なった。
アプリは日常的な確認文を表示した。
《運転者とお客様が同一人物です。交代しますか》
回答欄では、すでに《はい》が選ばれていた。