ホームシック不適合

朝比奈炉子は、地球への愛着が強すぎて火星行きの資格を失った。

居住隊には感情安定点九十以上が求められる。家族や故郷を思ったときの喪失反応が大きい者は、閉鎖環境で任務を投げ出す危険がある。炉子は生命維持設備の設計者として首席だったが、母の声を聞く試験でホームシック九十六を出した。

「感情訓練で下げられます」

教官は言った。

炉子は火星へ行くため、母との連絡を月一回に減らした。実家の写真を外し、故郷の方言を標準語へ直し、帰省してもホテルへ泊まった。別れを先に練習すれば、数値は下がる。

母の鈴佳は笑って協力した。

「火星のお母さんになるんだから、泣いてられないね」

半年後、ホームシックは四十八。翌年には十五となり、炉子は合格した。

出発二週間前、母が倒れた。

命に別状はなかったが、軽い脳梗塞で言葉が不自由になった。病室の母は、炉子の名を呼ぼうとして「ろ」とだけ言った。

炉子の胸は動かなかった。訓練通り、医師へ必要事項を確認し、介護サービスを手配し、面会を一時間で切り上げた。

帰りの電車で、合格通知を見た。感情安定九十四。完璧だった。

その数字が、急に恐ろしくなった。

炉子は出発を辞退した。隊員仲間には、母を理由に夢を捨てたと言われた。母自身も、動かしにくい口で「いけ」と繰り返した。

それでも炉子は地上に残った。

母との会話は最初、「ろ」と「うん」だけだった。訓練で遠ざけた年月はすぐには戻らなかった。それでも毎週同じ窓辺に座り、言葉が一つ増えるたび記録した。

火星を諦めたわけではない。遠隔で居住設備を設計し、通信遅延があっても修理できる自律系を作った。母のリハビリへ付き添いながら、画面の向こうの赤い基地を支えた。

三年後、炉子の設備が事故を防いだ。表彰式で「なぜ地球勤務を選んだのか」と聞かれた。

炉子は客席の母を見た。鈴佳は片手で大きく拍手していた。

ホームシックは再び九十一まで上がった。

「帰りたい場所がある人にも、宇宙を作れるようにしたかったんです」

その回答で安定点は失格域へ落ちた。

炉子は、初めて合格した気がした。