一メートル先の影
「影を一メートル伸ばすだけ? 日傘にもならない無能ね」
太陽神殿の審査で、司祭長はシエナを候補列から外した。
《スキル:伸影――自分の影の先端を、望む方向へ一メートルだけ延ばす》
夕方なら自然の影の方が長い。昼には一メートル増えても何にも届かない。シエナは神殿床を磨く役になった。
黒曜石の床を拭くと、人の影同士が重なって境目を失う。子どもの影に王の影が触れても、石は一つの黒として映す。司祭たちは影を本人の付属物と教えたが、シエナには、触れた瞬間だけ共有される一本の道に見えていた。わずか一メートルでも、届けばつながる。
正午、光喰いの悪魔が礼拝堂へ降りた。
全身が白く、刃も祈りもすり抜ける。悪魔は影を持たず、影のないものは太陽神の法の外にいる。司祭たちが光を強めるほど、悪魔は輪郭を失って祭壇へ近づいた。
太陽王アグレオが自ら聖剣を抜く。
だが剣は白い胸を通り抜け、石床だけを割った。
「影縛りの環へ誘い込め!」
「環まであと一歩、届きません!」
悪魔は祭壇の手前で止まり、嘲るように腕を広げる。床には影を縛る黒曜石の円環があるが、影のない相手には働かない。
シエナは磨き布を置き、円環の反対側へ立った。
真上の太陽に照らされ、彼女の影は足元へ小さく縮んでいる。
「私の影ならあります」
「悪魔の影でなければ意味がない!」
「影と影が触れれば、どちらのものか境目はありません」
彼女は影の先を、悪魔の足元へ向けた。
一メートルだけ伸びた黒が、白い踵に触れる。
その瞬間、悪魔の足元から同じ黒が全身へ駆け上がった。影を持たぬ存在が、シエナの影とつながったことで“影のあるもの”として太陽の法に捕まる。
黒曜石の環が閉じ、白い身体が初めて床へ縫い止められた。
アグレオの二撃目が、今度は胸を貫く。
悪魔は光ではなく灰になった。
太陽王は聖剣をシエナの前へ横たえ、膝をついた。
「我が剣が届かなかった最後の一メートルを、お前の影が埋めた。今日より太陽神殿の影司はシエナだ」