一日一語
水科歌南の夫・栖原冬樹は、死ぬ直前まで詩を書いていた。
未完の詩集には、空白のページが三十七枚残った。出版社は「最後の作品」として完成させたいと言い、歌南に死者回線を契約させた。
結婚前、歌南も詩を書いていた。だが冬樹の原稿を最初に読む役になり、誤字を直し、題を提案し、締切を管理するうち、自分のノートは台所の棚へ移った。冬樹は感謝していたが、世間は歌南を「詩人を支えた妻」とだけ呼んだ。
詩人への通話は、一日一語に制限されている。死後の作品を無限に作らせ、本人の名で売ることを防ぐためだった。
歌南は毎朝、問いを練った。
「三ページ目、〈窓辺の〉の次は?」
『海』
「最後の連の色は?」
『錆』
「題名は?」
『帰路』
一語を受け取るたび、歌南はその周囲へ文章を足した。冬樹なら使う比喩、嫌う助詞、好んだ改行。二十年隣で原稿を読んできたから、声のない部分まで分かるつもりだった。実際、冬樹が生前に書いた未発表作より、冬樹らしい文を作れた。
詩集は少しずつ埋まった。編集者は「まさに先生の新作です」と喜んだ。
だが歌南は眠れなくなった。〈海〉を選んだのは冬樹でも、その海を夜にしたのは自分だ。〈錆〉を血に結びつけたのも、改行を決めたのも自分だった。これは夫の詩なのか、自分が夫の仮面で書いた詩なのか。
三十六日目、歌南は尋ねた。
「この詩集は、あなたの作品?」
冬樹の一語は、予想していた「僕」でも「違う」でもなかった。
『歌南』
回線が切れた。
歌南は空白の最終ページを見つめた。自分の名を呼ばれたのは、妻として続けろという命令にも、もう夫の名へ隠れるなという許可にも聞こえた。どちらに決めるかは、死者ではなく自分の仕事だった。
翌朝、最後の一語を聞く権利が残っていたが、電話をかけなかった。
出版社へ、詩集は冬樹の未完稿と自分の補作であり、共著としてしか出さないと伝えた。担当者は難色を示した。死んだ天才の遺作より、無名の妻との共著は売れないという。
歌南は出版を断った。
半年後、小さな同人誌で作品を発表した。冬樹の名を表紙に借りず、自分の名だけを置いた。最初の詩の題は〈一日二語〉。
一語目は、夫から受け取った。
二語目からは、自分で選んだ。