一枝だけ剪定します
《限定一名の園芸記録が公開になってる》
《海老沢結月、浅層の苔を育ててる人だろ》
《世界樹寄生体を園芸ばさみで倒す映像は作れないって》
師匠へだけ送るはずだった限定配信は、共有リンクの自動投稿で全公開になった。
海老沢結月は気づかず、都市迷宮の中央庭園で巨大な蔓を見上げている。《喰都樹》は地下全域へ根を張り、建物も人も養分として吸い上げていた。
太い幹を切れば、分かれた根がそれぞれ新しい個体になる。焼けば胞子が都市中へ飛ぶ。結月の手にあるのは、小さな園芸ばさみだけだった。
師匠から届いた唯一のコメントは《太いところを切るな》だった。それきり通信は途絶え、私信のはずの画面へ避難情報と罵声が流れ込む。結月は反論せず、枯れた街路樹を診るときと同じ速さで歩いた。植物が本当に隠したい弱点は、強く見える場所にはない。
《根の総延長、推定二千キロ》
《核反応が四万か所。単一コアじゃない》
《避難完了まであと十五分、吸収は十分快》
結月は蔓の海へ入り、一本ずつ触れながら歩いた。
やがて建物の隙間から出た、指ほどの細い枝の前で止まる。葉も花もない、誰も重要と思わなかった枝だ。
「ここだけ、春が来ていない」
園芸ばさみを一度、閉じた。
小さな音がした。
都市を覆う全ての蔓から力が抜ける。壁を砕いていた根も、人々を縛っていた蔓も、同じ瞬間に乾いた縄へ変わった。巨大な幹は崩れず、空洞のまま静かに立ち尽くす。
《全核反応、同時消失》
《植物研究所:切った枝は全根系の成長命令を戻す頂端中枢》
《四万の核じゃない。全部が一つの枝から指示を受けていた》
《都市被害停止。捕縛者二百八名、全員解放!》
結月は切った枝を紙袋へ入れ、配信に初めて気づいた。
「見本を一人に送る予定だったのですが」
《今、百八十万人が見本を見た》
《苔の人じゃない。世界樹の庭師》
《火力ではなく手入れで災害を終わらせた》
解放された二百八人の中には、結月の仕事を苔の水やりと笑った研究主任もいた。彼は切断面を拡大し、理論上の一点からずれていないことに言葉を失う。
《園芸ばさみは研ぎ直し三回の私物》
《事前マーキングも誘導薬もなし》
結月は称賛より、乾いた蔓が歩道を塞がないよう片づけの順番を考えていた。
同時視聴者数が二百万人へ届いたとき、植物研究所の公式認定が表示された。
【喰都樹・完全無力化。剪定箇所の誤差、理論値から〇・〇ミリ】
結月はその数字を見て、ようやく満足そうに頷いた。