一脚だけ違う椅子
羽生誉が岳人との同棲を決めきれなかった理由は、椅子だった。
岳人が送ってきた家具店のリンクには、細い木脚の椅子が二脚セットで並んでいた。
〈新居の食卓、これでどう?〉
写真はきれいだった。二つ同じ椅子が向かい合い、テーブルの上には同じカップが二つある。
誉は腰を痛めやすく、今は背もたれの大きな黒い椅子を使っている。見た目は重く、岳人の好きな部屋には合わない。
「食事のときくらいなら平気じゃない?」
彼は言った。誉も一度は頷いた。二十九歳で始める同棲を、古い黒い椅子一脚でぎくしゃくさせたくなかった。
入居申込書はすでに二人で書き、あとは家具搬入日を決めるだけだ。机には二枚の配送票がある。同じ椅子二脚の票と、木の椅子一脚に黒い椅子を運ぶ混載便の票。
誉は二つの食卓を想像した。揃った椅子の未来では、来客に褒められ、写真もきれいに撮れる。その代わり、誉は食事の途中で腰を浮かせる。違う椅子の未来では、部屋の統一感が崩れ、岳人は毎日少し不満そうな顔をするかもしれない。
どちらも小さなことだった。だからこそ、譲ったあとに誰も責められない。
誉は一回だけ岳人へ電話した。
「黒い椅子を持っていく。嫌なら、同棲はまだやめよう」
「そこまで?」
「そこから始めたい」
電話の向こうで、岳人が息を吐いた。
「じゃあ俺の椅子は木のにする。ばらばらだね」
「うん」
誉は黒い椅子へ深く座り、背もたれに身体を預けた。痛くないことは、写真には写らない。岳人が好きな部屋を壊す罪悪感も消えなかった。それでも毎日の小さな痛みを隠して得た統一感は、いつか彼への不満に変わる。椅子一脚の違和感を、二人で見える場所に置くほうを選んだ。
新居の写真を見るたび、その黒さを後悔するかもしれない。それでも後悔するなら、痛みを隠した自分ではなく、選んだ自分として後悔したかった。
誉は混載便を確定した。椅子が違うことを笑える日も、気に障る日も来るだろう。揃わない食卓を正解にしたのではない。ただ、自分の身体を置き去りにしない部屋へ、自分で運ぶと決めた。