三色ボールペンの家族
成瀬小春は閉店する食堂の古道具市で、一冊の家庭料理本を買った。余白には赤、青、緑の三色で、家族らしい書き込みがある。
〈父・胡椒多め〉〈姉・玉ねぎ抜き〉〈妹・翌日はチーズ〉。三人が同じ食卓を囲んでいた記録に見えた。
小春は独立して惣菜店を開く予定で、家庭の味を集めていた。けれど三色の注文は矛盾だらけだった。父には胡椒、姉には玉ねぎ抜き、妹には翌日のアレンジ。同じ鍋では応えられない。それでも書き手は、面倒がるどころか頁の端へ小さな笑顔まで描いている。店を閉じる諸星が「家族向けの本はもう使わない」と言った時、その言葉と余白の温度が噛み合わなかった。
本の由来を知る候補は、店主の諸星、買い取りをした梶谷、常連の伊佐の三人だった。
手掛かりは三つ。三色とも独特な「く」の折れ方が同じ。日付はすべて店が定休日の火曜。そして書き込みの内容は、食堂の家族が別々に暮らし始めた後のものだった。
梶谷は仕入れ台帳を見せ、伊佐は赤い文字しか見たことがないと言った。諸星は三色の頁を開くたび、料理名より日付を先に見た。小春が「この緑の笑顔、誰が描いたんですか」と聞くと、彼は次女の口調で「チーズ多め」と答え、ようやく自分で秘密を明かしたことに気づいた。
小春が尋ねると、諸星は三色ボールペンを胸ポケットから出した。
全部、彼の字だった。離婚後、二人の娘とは月一度しか会えない。火曜ごとに料理を作って届け、電話で聞いた感想を色別に書いた。赤は自分、青は長女、緑は次女。三人で囲めない食卓を、本の上だけ一つにしていたという。
「娘たちが、もう無理して作らなくていいって言うから。いらないのかと思って処分した」
その時、店の戸が開き、青と緑の傘を持った二人の女性が入ってきた。梶谷が連絡したらしい。
「無理しないでって、買わないでじゃないよ」
長女が本を取り上げ、次女が肉じゃがの頁を開いた。
小春は事情を聞いた代金代わりに、店の台所を貸してもらった。四人で余白どおりの肉じゃがを作る。胡椒多め、玉ねぎ抜き、残りには明日のチーズ。
湯気の中、小春が一口味見する。
「色が三つだと、味も三つですね」
諸星は新しい欄外へ黒で書いた。
〈今日・四人分〉