九時を刻む手
時計塔の下で開かれた同窓会に、雫石理世は深い赤のドレスで現れた。
宮田百合はその手首を見て、何も着けていないことに気づいた。
「時計くらい買えばいいのに。私は昇進祝いにこれ」
百合が見せたのは、海外の高級機械式時計だった。限定百本、価格は五百万円。中学時代、壊れた時計を分解していた理世を“ねじ女”と呼んだ百合は、今も値段で人の時間を測ろうとした。
「きれいな時計だね」
「知ってる? 世界的な女性職人が作ったモデルなの」
理世は微笑んだだけだった。
午後九時、長く止まっていた町の時計塔が再び動く式典が始まった。市長が修復責任者を紹介する。
呼ばれたのは理世だった。
彼女はスイスで修業し、独立後に自分の時計ブランドを設立。複雑機構の特許を取得し、一本数千万円の時計が数年待ちになっていた。ブランドの一部株式を高級品グループへ売却した額は百億円を超えたが、今も自ら工房で組み立てている。その指は広告にも起用され、理世自身も凛とした美貌の職人として世界の時計誌に何度も登場していた。
百合は手首を隠しかけた。
理世が近づき、裏蓋を指す。
「その限定品、私が設計した最初の量産モデルだよ」
百合は慌てて時計を外した。裏面には小さく、〈Riyo S.〉と職人の署名が刻まれている。自慢するたび、理世の名前を腕に巻いていたのだ。
「でも、会社に雇われた職人でしょ?」
式典に来ていた高級品グループの会長が笑った。百合が一度だけ会議で遠くから見た人物だった。しかもその会議で、彼女の会社は理世のブランドとの取引を得られずにいた。
「逆です。我々が雫石さんのブランドへ出資させてもらっています」
会長は次の共同開発契約書を差し出した。契約額を聞き、百合の口が閉じる。
理世は時計塔の内部へ合図を送った。新しい歯車が噛み合い、鐘が九つ鳴る。
百合の手首で限定時計が同じ時刻を指した瞬間、“ねじ女”と笑われた少女の署名が、町と世界の時間を同時に動かしていた。