予備の鍵で開く家

退職してから、家の広さが急に腹立たしくなった。

妻は先に亡くなり、子どもは遠方にいる。二階の三部屋は物置で、階段を上るのも面倒だ。

昔、友人から「一緒に暮らして下宿でもしよう」と誘われたが、他人との生活はごめんだと断った。友人は別の町で共同住宅を始め、五年前に亡くなった。

遺品として届いた予備の鍵を、二階の開かない部屋へ差した。

扉の向こうに、断ったはずの共同住宅があった。

台所では学生が鍋を焦がし、廊下には知らない靴が七足。

友人は白髪になり、私へ「遅い」と怒鳴った。

そこでは私は誘いを受け、二人で家を改装したらしい。

羨ましいほど賑やかだった。

同時に、うんざりするほど散らかっていた。

冷蔵庫には名前のない食品が詰まり、風呂の順番表は毎日書き換えられ、居間では家賃の値上げをめぐって口論している。

向こうの私は台所の隅で耳栓をしていた。

友人が笑った。

「そっち、静かでいいだろ」

「静かすぎる」

「こっちはうるさすぎる」

「交換する?」

「三日で戻りたがる」

壁には、住人たちの卒業写真が並んでいた。

友人の葬儀の写真もある。向こうの世界でも、彼は同じ年に亡くなっていた。

ただ、棺の周りには大勢がいて、皆が友人の失敗談で笑っていた。

私の世界では、感染症の時期と重なり、私は一人で焼香した。

向こうの私が、友人の使っていた椅子を毎日空けているのが見えた。

人が多くても、いない人の場所は埋まらない。

それでも誰かが鍋を焦がすたび、友人の悪口を言いながら火を止めていた。

予備の鍵が手の中で熱くなった。

友人は私の背中を押した。

「部屋、余ってるんだろ」

「他人は嫌いだ」

「知ってる。俺もお前が嫌いだった」

扉を閉めると、元の埃っぽい部屋へ戻った。

床には、焦げた鍋の匂いだけが残った。

翌月、二階の一室を近くの専門学校へ通う学生に貸した。

条件は静かな人。来たのはよく喋り、料理の下手な若者だった。

初日に火災報知器を鳴らされ、私は契約を後悔した。

それでも夕食の鍋が焦げた夜、二人で窓を開けながら笑った。

予備の鍵は玄関の箱に入れてある。

もう別の家は開かないが、帰宅の遅い住人のため、灯りを一つ残しておくようになった。