二年三組の音
烏丸琥珀のクラスでは、一冊の交換日記を毎日順番に回していた。
題名は『今日の二年三組』。
最初は行事の感想ばかりだった。
球技大会で勝った。
文化祭の劇が決まった。
小テストの平均点が低かった。
二月、琥珀の番が来た。
窓際の最後列。話す相手はいるが、クラスの中心ではない。特別な出来事もなかった。
一時間目、先生が黒板へ式を書く。
二時間目、誰かの腹が鳴る。
昼休み、机を寄せる音。牛乳パックを潰す音。廊下を走る上履き。遠くで吹奏楽部のトランペットが同じ音を三回外す。
琥珀は一日中、音を数えた。
放課後、日記へ書いた。
――朝、椅子を引く音が三十二回。
――担任が出席簿を閉じる音。
――消しゴムが落ちて、前の席まで転がる音。
――誰かが「あと五分」と言う音。
――帰りの会のあと、誰もすぐ帰らない音。
感想は書かなかった。
翌日、日記は次の人へ渡った。
昼休み、前の席の子が振り返る。
「昨日の、何かいいね」
「何が」
「音。今日、数えちゃう」
その日の頁には、
――先生の咳払い四回。
――窓を閉める音。
――琥珀が笑った音。思ったより大きい。
と書かれた。
次の日は匂い。その次は教室にある青いもの。その次は、誰にも見られなかった親切。
交換日記の頁が、急に細かくなった。
三月の教室移動の日、最後の担当者が書いた。
――机を運ぶ音。
――掲示物を剥がす音。
――この日記を閉じる音。
全員が日記の周りへ集まった。
「最後、琥珀が閉じて」
なぜ自分なのかわからなかった。最初に音を書いたからだと言われた。
琥珀は両手で表紙を持った。
閉じる直前、教室を見回す。
窓の隙間。短くなったチョーク。脚の曲がった机。笑いをこらえる誰か。
日記を閉じる。
ぱたん。
小さな音だった。
「聞こえた?」と誰かが訊いた。
「聞こえた」
「これで終わり?」
「たぶん」
そのあと全員が一斉に話し始め、椅子が鳴り、廊下から先生が静かにしろと叫んだ。
終わりの音は、すぐいつもの騒がしさに消えた。
けれど琥珀は、その一音だけを今も覚えている。
二年三組が一冊の中へ収まった、短い音だった。