似ている線ではなく
パッケージ会社のデザイナー文香は、打ち合わせ机に置かれた同人誌を見て指先が冷えた。
新商品の色味を説明する参考資料として、若手社員が持ってきたらしい。表紙を描いたのは文香自身だ。ペンネームは「冬雀」。
「この作家の線、今回の雰囲気に合うと思うんです」
若手がページを開く。上司も頷いた。
文香は会社で、自分の絵をなるべく無個性に整えてきた。美術学校時代、友人に「オタクっぽい線は仕事にならない」と言われたことがある。就職後は冬雀の絵と業務の絵を意識して変え、誰にも同じ人だと分からないようにした。社内ポートフォリオから人物画を外し、趣味欄も空欄にした。
上司が文香へ本を渡す。
「この感じ、再現できる?」
再現。自分の線なのに、借り物として求められている。
「できます」
答えたあと、胸の中に苦いものが残った。このまま黙って描けば、会社は冬雀の絵を無断で参考にしたことになる。たとえ作者が自分でも、名乗らなければ守れない。
文香は本を机へ戻した。
「ただし、先に確認があります」
全員が見る。
「冬雀は私です。この本は個人で制作しました。参考資料ではなく、作者のいる作品として扱ってください」
若手の口が開いた。上司は表紙と文香を交互に見る。
「副業申請は?」
「販売収益は規定額以下ですが、必要なら出します。それと、この絵柄を使うなら、業務として私が新規に描きます。本の絵をそのまま流用はさせません」
声は震えたが、言い切った。
沈黙のあと、上司は本を閉じた。
「分かった。個人作品と案件を分けて、正式に提案書を出して」
若手は慌てて頭を下げる。
「勝手に持ってきてすみません。でも、ずっと好きでした」
文香は本を受け取った。恥ずかしさはある。それでも表紙を伏せなかった。
その夜、冬雀のアカウントに新しい絵を投稿する。会社の商品とは何の関係もない、雪の中の小鳥。
紹介文の《趣味で絵を描いています》を消し、《絵を描いて本を作っています》に変えた。
似ている線ではない。これは、文香が選んで引いてきた線だった。