値引きしない請求書

沙羅は、翻訳した見出しから否定語を一つ落とした。

海外向けの化粧品広告。「動物実験を行っていない」が、「動物実験を行っている」になっていた。初稿を受け取った制作担当が気づき、公開前に修正できた。損害は出ていない。それでも意味を正反対にした事実は重かった。

沙羅は訂正版と経緯を送り、チェック工程を一つ追加すると伝えた。

担当者からは《修正確認しました。次回からお願いします》と返った。

フリーランスになってから、沙羅には自分だけの罰則がある。

誤字なら請求額を一割引き、意味の誤りなら三割引き。先方に求められなくても、請求書で減らす。収入が減れば、反省が数字になり、失敗を軽く扱っていない証明になる気がした。

月末、請求書の作成画面を開く。

今回の仕事は四万八千円。沙羅は金額欄に三万三千六百円と入力した。自動計算された税額まで小さくなる。

だが、翻訳料は作業時間と契約で決まっている。修正は納品前の工程に含まれ、先方から減額の話はない。沙羅が安くすることで、見落としの原因が分析されるわけでもない。次に否定語が戻るわけでもない。

数字を四万八千円へ戻す。

備考欄には、《初稿見出し一箇所修正済み》と記載した。隠さない。だが《私の能力不足のため減額》とは書かなかった。

送信ボタンを押す前、胸がざわついた。満額を受け取る自分が厚かましく思える。だから沙羅は、請求書とは別にチェックリストを開き、否定表現の照合欄を追加した。罰ではなく、手順を増やす。

請求書を送信する。

金額は変わらないまま、相手の受信箱へ届いた。

その夜、沙羅はスーパーで、いつも買うヨーグルトを棚へ戻しかけた。今日は節約すべきだという声が、まだ頭にあった。

値札を見て、かごへ入れる。四万八千円が振り込まれる保証はまだない。次の依頼が来る保証もない。

それでも、失敗した日の食事まで値引きする必要はなかった。

レシートには、ヨーグルトの金額がそのまま印字されていた。沙羅はその数字を、反省の不足とは読まなかった。