刻印しない愛
魔族の婚約者は、首筋へ契約刻印を受ける。
それを知った日から、キリカは襟の高い服を着るようになった。昔、奴隷印を焼かれた場所へ新しい印を重ねたくなかった。
魔王アルマードは何も問い詰めず、城の仕立屋へ命じた。
「首を締めない服だけ作れ。留め具も前へ」
彼女が背後から襟を結ばれるのを嫌うことまで見抜いていた。
「刻印を受けないと、婚約者とは認められません」と侍女が言う。
アルマードは冷たく返した。
「認める者を選ぶのは余だ」
最強の魔王は、敵国の城壁を指一本で崩す。けれどキリカの髪が襟へ挟まると、触れていいか尋ねてから一本ずつ外す。
契約式の日、刻印台には赤い針が置かれていた。
大臣が朗々と説明する。
「印を受ければ、キリカ様は生涯陛下の居場所を知り、陛下もまた彼女を呼び戻せます」
「呼び戻す?」とキリカが聞く。
「どこへ逃げても、一瞬で」
彼女は一歩下がった。
「受けません」
大臣たちは顔を見合わせる。
「陛下の伴侶になるのに、逃げ道が必要ですか」
「必要です。使わなくても、あると知っていたい」
アルマードは針を見つめた。
「その条項を誰が許可した」
「古法にございます」
「余は許可していない」
大臣が声を潜める。
「陛下ほど彼女へ執着しておられる方が、なぜ拒否を。刻印すれば永遠に失いません」
アルマードの魔力で、刻印台が砂になった。
「余の執着を、彼女の檻にするな」
彼はキリカへ向き直る。
「契約なしでも、そばにいたいか」
「今は、いたいです」
「明日は?」
「明日、また決めます」
「それでいい」
大臣はなお、国民への示しを求めた。
アルマードは自分の首へ掛けていた王章を外し、キリカへ差し出す。ただし手渡さず、卓上へ置く。
「持つか、置いていくか、返すか。好きにしろ」
キリカは王章を手に取らず、代わりにアルマードの袖を自分からつまんだ。
魔王は笑わず、ただ全員へ告げた。
「婚約刻印制度を廃止する。キリカの身体へ印を刻む権利は、余にもない」
赤い針の消えた祭壇で、彼女の首筋には古い傷だけが残った。
「愛は帰る場所であって、逃げ道を消す術ではない」