削除まで九分
倉庫火災で亡くなった音楽家・京極シオンから、妹の八重樫燈子へ新曲のURLが届いた。
〈再生開始から十分後に削除〉
画面の残り時間は、9:59から減り始める。
シオンと燈子は姓が違う。幼い頃に両親が別れ、離れて暮らした二人をつないだのが音楽ファイルだった。彼は曲の中へ座標や誕生日を隠し、燈子が解くと、それを「兄妹だけの歌詞」と呼んだ。
イントロは電子音の高速なアルペジオ。シオンの声が、遠い無線のように割れていた。
「間に合う」
ジャケットには、閉じたコンテナの扉と、一本だけ外へ伸びるイヤホンコードが映っている。
燈子は保存ボタンを探した。兄はデータを暗号化しては、解けるか試す癖があった。遺作まで消える仕掛けにするなんて、最後まで悪趣味だと思った。
Aメロの背後で、規則的な打音が鳴る。三回、二回、五回。ドラムではない。金属の壁を内側から叩く音だ。
シオンは火災の前、行方不明になった高校生・柚原叶芽を捜していた。叶芽は彼の小さな配信へ毎回感想を送り、失踪前夜には「外へ出られない」とだけ書き残していた。ネット上の違法配信に映り込んだ背景音から、監禁場所を絞っていると話していた。
「まだ、間に合う」
再生バーの色が青から赤へ変わる。残り六分。燈子は打音を数字に置き換え、曲のテンポ表示と重ねた。倉庫番号、区画、暗証番号。兄の死んだ倉庫とは別の、港の保冷コンテナを示している。
残り四分。警察へ通報し、音源と位置を送る。
残り二分。現場の捜査員から、対象コンテナへ到着したと返信。
残り三十秒。サビの下で、少女の咳が聞こえた。
燈子はようやく、兄が曲を保存させたいのではないと悟った。自分が戻れなかった時だけ投稿される、救難信号だったのだ。
残り一秒、シオンが笑う。
「間に合う」
画面が消えたのと同時に、電話の向こうで扉が開く音がした。冷気の中から、小さな泣き声が返る。
失われたのは一曲だった。
間に合ったのは、その曲ではなく、兄が帰れなくても帰したかった一人の命だった。